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5月27日(金)全学礼拝 (賛美歌BGM付)

2022.05.27
オンライン礼拝

奨励者:嶋田恵悟(日本基督教団土浦教会牧師)

新約聖書:マタイによる福音書 第6章11節(新共同訳)P.9

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」

奨励: 日毎の糧

 

 

 最近、流行っている言葉に「ファイヤー(FIRE)」という言葉があることを知りました。「火」のことではありません。“Financial independence retire early.”「経済的自立と早期退職」という意味です。比較的若い内にお金を貯めて、働かなくても食べていける状態になり、退職し自分の好きなことをして行くという生き方を指します。そういう生き方に憧れ、実際に目指そうとする人もいるのだそうです。確かに、一生、生活して行くだけの蓄えがあったら、気楽で良いなと思います。生活の心配をしなくて良くなるというだけではありません。働いて行く時に経験する、人間関係から来るストレスも無くなります。気が合わない人に合わせる必要も無くなります。他人からどう思われているかを気に病んだりすることも無くなるでしょう。

 ただ、聖書は、そういう生き方とは少し異なる生き方を示しています。今日の聖書は、「主の祈り」と言われている、主イエス・キリストが弟子たちに教えた祈りの中の言葉です。「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」。「日用の糧を今日も与えたまえ」という祈りです。「一生分の必要な食べ物が満たされるように」とは願わず、「今日一日、必要な食べ物を」と祈るのですね。

 確かに、現代社会において、一生分の必要を考えて、経済的な人生設計をすることは大切なのですが、FIREに憧れる心の中には、煩わしい人間関係から解放されて、自分の力だけを頼って、自由に生きて行きたいという欲求のようなものを感じます。でも、考えて見ると、私たちが、自分の力で生きて行くことなどあり得ません。今日一日食べる食べ物のことを考えても、その背後には、多くの人々の労働があり、様々な犠牲があります。私たちが生きる時、必ず、自分以外の誰かが、時間を割いていたり、命を削っていたり、我慢していたりします。更に、聖書の信仰に基づくならば、命の源である主なる神が、私たちの罪を赦し、生かそうとしているのです。人間の命について、色々な捉え方があると思いますが、「命とは、他者の犠牲である」と言えるかも知れません。

 「日用の糧を今日も与えたまえ」と祈って行く歩みは、自分の命が、他者の犠牲の上に成り立っていることを受け止めて行く歩みだと言って良いと思います。それは、とりもなおさず、私たち自身も自分以外の誰かの命のために、時間を割いたり、命を削ったり、我慢したりすることを積極的に負って行く歩みを生んで行くはずです。他者の犠牲の上に生きる者として、自らを他者のために用いて行くことで、私たちは真に豊かに生きられるのだと思います。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる神、わたしたちに必要な糧を今日与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」