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5月25日(水)全学礼拝

2022.05.25
オンライン礼拝

奨励者:村瀬天出夫(学長補佐・欧米文化学科准教授)

新約聖書:コリントの信徒への手紙二 第4章7~9節(新共同訳)P.329

「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。」

奨励: 私は土の器

 

 

 皆さんは小学生の頃、図工の時間に土(粘土)をこねて何かの形を作ったことがあるのではないでしょうか。

 しかし、それを火で焼いた経験はないかもしれませんね。

 一般的に焼き物の工程は次のようなものです。

 粘土で成型したものを自然乾燥させた後、700〜800℃位で焼く(素焼き)。次に釉薬(ゆうやく、うわぐすり)をかけて1250℃位で本焼きしたものが陶器です。もっと高温で焼いたものは磁器と呼ばれます。高温で焼くと強度が増します。

 

 本日の聖書箇所で、この手紙を書いた使徒パウロは自分たちを「土の器」と言っています。低温で焼かれ釉薬のかかっていない素朴で見栄えのあまり良くない素焼きの器でしょう。

 土の器・素焼きの器は強度が弱く壊れやすいのです。もろくて簡単にひびが入ったり、欠けたり割れやすい器だとパウロは言っているのです。

 しかしこの器の中に「宝」が入っているというのです。

7節に「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」とあります。

 

 「このような宝」とは何なのでしょうか?

 前節6節から考えると、宝は「福音であるイエス・キリストそのもの」を指しているのではないでしょうか。

 パウロは自分自身は粗末な土の器ですが、その中には尊い宝が入っているから、どんなに激しい迫害や苦難が襲いかかって来たとしても、器の中の宝の力が働いて、福音伝道のために前進していきます。

 「四方から苦しめられても行き詰まらない、途方に暮れても失望しない、虐げられても見捨てられない、打ち倒されても滅ぼされない」という8節・9節の力強い言葉がパウロから発せられています。

 

 「土の器」というのは、私たち人間のことです。私たちがもろくて弱く、はかないものであることの象徴です。

 しかしその土の器にイエス・キリストという「宝」がいてくださるのです。

 土の器は年月が経てば欠けたり、ひびが入ったりします。私たちも歳を取っていくと身体は衰え、精神的にもろくなったりします。若い人も何かあればすぐに壊れてしまいそうなほど弱く、傷つきやすいのではないでしょうか。

 ヒビだらけ、欠けだらけの私ですが、そのヒビから神さまの光・愛があふれ出てくるのです。このような欠けやヒビだらけの私でも神さまはそのままで愛してくださるのです。そしてこんな私にも私しかできないことが与えられているのです。

 

 詩人、小説家、児童文学作家であって、皆さんが知っているかもしれない童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」の歌詞を書いた阪田寛夫(さかた ひろお 1925—2005)さんには、「土の器」という芥川賞を受賞した作品があります。

 この小説は「死ぬ前の年の三月末に、私の母は肩の骨を折った。」という一文から始まります。

 80歳を超えているこの母は、礼拝の前のオルガン練習のとき、肩の骨を骨折したというのです。その傷みのなか、オルガンで讃美歌を弾き続けた猛烈(?)な女性です。この場面で、阪田さんの母は、今日の聖書箇所にあるパウロの声を聞いたのです。「四方から艱難(かんなん)を受けても窮しない、途方にくれても行き詰まらない」。私たちはこの土の器の中に神から与えられた宝を持っているのだから、こんな事くらいで困っているなんて申し訳ないと彼女は思い、無事にオルガンが弾けるようにと祈り、何とか奏楽者の務めを果たしたのです。

 

 この作品は、阪田さんの母で敬虔なクリスチャンであった老女が、癌を患って亡くなるまでを描いており、この肩の骨折のエピソード以外にも篤(あつ)い信仰者の生き方が沢山描かれています。彼女の発する言葉は、笑いを誘うような部分もあります。短編です。ぜひ読んでみてください。

 そして土の器である欠けだらけの私たちにも何ができるのかを考えたいと思います。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる神さま、新年度も今まであなたの御守りのなかで過ごせたことを感謝いたします。まだコロナ禍にありますが少しずつ学生生活が正常化していることをうれしく思います。学び、サークル活動、そして聖学院大学だからこその礼拝のひとときを大事にしていくことができますように導いていってください。短い感謝と願い、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」