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5月24日(火)全学礼拝 (賛美歌BGM付)

2022.05.24
オンライン礼拝

奨励者:安井聖(日本ホーリネス教団西落合キリスト教会牧師、本学講師)

旧約聖書:ヨブ記 第10章18~22節(新共同訳)P.788

「なぜ、わたしを母の胎から引き出したのですか。

 わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに

  死んでしまえばよかったものを。

 あたかも存在しなかったかのように

 母の胎から墓へと運ばれていればよかったのに。

 わたしの人生など何ほどのこともないのです。

 わたしから離れ去り、立ち直らせてください。

 二度と帰って来られない暗黒の死の闇の国に

  わたしが行ってしまう前に。

 その国の暗さは全くの闇で

 死の闇に閉ざされ、秩序はなく

 闇がその光となるほどなのだ。」

奨励: 人の絶望の底に立ってくださる神

 

 

 わたしは以前旧約聖書のヨブ記を読んでいた時に、衝撃的なヨブの言葉に出会いました。「なぜ、わたしを母の胎から引き出したのですか。わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに/死んでしまえばよかったものを。あたかも存在しなかったかのように/母の胎から墓へと運ばれていればよかったのに。わたしの人生など何ほどのこともないのです。わたしから離れ去り、立ち直らせてください。二度と帰って来られない暗黒の死の闇の国に/わたしが行ってしまう前に。その国の暗さは全くの闇で/死の闇に閉ざされ、秩序はなく/闇がその光となるほどなのだ」(ヨブ記第10章18~22節)。わたしは言葉に言い表せないような悲しい気持ちになりました。そして思いました。人間はこんなにも深い絶望の言葉を口にすることがあるのか。このわたしもこのような絶望を味わうことがあるのだろうか。

 しばらくの間この言葉に釘付けになり、何度も繰り返して読み、読んでは考えていました。そしてあることに気づかされました。ヨブはこの言葉を、独り言としてつぶやいているのではない。悲しみの中で、たった独りで嘆いているのではない。ヨブは神に向かってこの言葉を告げている。心に沸きあがってくる悲痛な思いを、そのまま神にぶつけている。これは神に向けての言葉、まさに祈りの言葉ではないか。

 そしてだんだんとこう思うようになりました。この絶望の祈りを受け止めていてくださる神が、ヨブの傍らに立っておられる。この祈りには神への非難の思いさえ込められている。ヨブは持って行き場のない嘆きを、神を責めるような言葉で言い表すことしかできなかった。そのような祈りさえ、神は黙って聴いていてくださる。わたしたちがどんな姿で神の前に立つ時にも、神は決して退けられない。わたしたちを孤独になさらない。この絶望の祈りには、すでに望みの光が射しているではないか。

 神の御子イエスは十字架に磔(はりつけ)にされ、絶望の死を経験されました。誰よりも深く、絶望の底に立つ歩みをしてくださいました。そして聖書はこのイエス・キリストが死から復活され、今わたしたちと共に生きておられると告げます。だからこそたとえ望みの光が見えなくなってしまう時にも、もはやわたしたちは孤独ではありません。神が共にいてくださる。その神に自分の心の思いを、ありのまま告げることができる。祈ることができる。神がそのような恵みを与えておられることを、ぜひ知ってください。

 

 

祈り

「あなたに叫ぶ絶望の言葉さえも、あなたは祈りの言葉として受け入れてくださることを感謝します。絶望の中に立たされる経験をする時に、主イエスがもっと深い絶望の底から支えていてくださると信じて、あなたに祈ることができるようにお助けください。主の御名によって祈ります、アーメン。」