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5月20日(金)全学礼拝

2022.05.20
オンライン礼拝

奨励者:帆苅基生(弘前大学教員、本学講師)

新約聖書:ローマの信徒への手紙 第5章8節(新共同訳)P.279

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」

奨励: 私も罪人なの!?

 

 

 三浦綾子さんは日本におけるキリスト教文学を代表する作家の一人です。

 自伝やエッセイなどを読み、三浦さんが困難の中で信仰を持って、懸命に生き抜いた姿を知ると本当に心打たれますし、見習いたいと思います。しかし実は小説を読み直してみると、どうしてもしっくり来ないような違和感がありました。特にキリスト教とあまり縁がない人にも多く読まれている代表作とされるものほど。

 デビュー作であり、何度もテレビドラマ化もされている『氷点』は、人は誰でも「罪」を抱えているという、「原罪」が主題になっていて、「人間の罪と赦し」が描かれていると言われます。簡単に紹介すると、妻が不倫をしている隙に3歳の娘を殺害された夫が、妻への復讐のために、密かに娘に手をかけた殺人犯の娘・陽子を養女にします。それをある日妻は知ってしまい心の中に闇を抱え、成長した陽子にその秘密をぶちまけます。「氷点」とは、自らが生まれながらに重たい罪を抱えたことを知った陽子の心が凍りついたことを表すとされています。

 「人間の罪と赦し」という難しい大きなテーマに向き合おうとした、三浦さんの姿勢には頭が下がります。しかしそれでもやはり違和感を感じずにはいられないのは、ここで描かれる「罪」の意識というものが、聖書が説く人はみな「罪」を抱えているというものとは、本質的に違うのではないかと思うからです。

 私自身が自分の中にある種の「罪」を抱えているなと実感した出来事がありました。それは今から10年近く前のことになりますが、新幹線に乗っていた時のことです。連休だったので車内は満席でした。私が乗っていた車両には赤ちゃんや小さな子を連れた家族が何組も乗り合わせていました。すると一人の赤ちゃんが泣きはじめました。その泣き声に連動するように、あちらこちら泣き声が起こり、車内は泣き声が響き続けました。私はだんだん黒板を爪でキーと引っ掻いた時のように、力が抜けて気分が悪くなっていきました。

 この時、私は自分がなんて愛のない人間なのだろうと悲しくなりました。こんな長時間新幹線に乗ってて好きに動けなくて一番辛いのはその赤ちゃんたち自身だろうし、きっとその子を連れているご両親も疲れていたり肩身の狭い思いをしているんじゃないだろうか、だとしたらせめて微笑みかけたり、できることがあるならばお手伝いができるような人でありたいと思っているのに、現実にはそれができない、心の狭い人間であることを思い知らされたように思いました。優しくしたいのにできないことが悲しく、今でも苦い思い出として残っています。

 さてそのような心の狭い、「罪」を抱えていることを実感させられた私ですが、「ローマの信徒への手紙」を読むと励まされる思いがします。使徒パウロは私たちが良い行いをしたから神様が私たちを愛してくださるのではなく、私たちを無条件で愛してくださっているからイエス・キリストをこの世に送ってくださったのだと伝えてくれています。イエス・キリストは罪人も正しい人も神様の愛の中にいて一人一人が尊い存在であることを身をもって教えてくださいました。だからこそパウロは神様の愛に支えられていることを感じ、希望を持って歩みなさいと伝えてくれているように思います。優しくなれなかったり心が狭かったりしても、それでもイエス・キリストの愛に包まれながら、他者とともに歩み、生きるものでありたいと感じさせられました。

 

 

祈り

「天の父なる神様。愛したくても愛せない罪深い私ですが、あなたが送ってくださったイエス・キリストの愛に生かされて、他者を愛しともに生きるものにしてください。このお祈りを愛するイエス・キリストのお名前を通して祈ります。アーメン。」