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5月18日(水)全学礼拝 (賛美歌BGM付)
奨励者:大坪園子(日本基督教団熊谷教会副牧師、本学講師)
旧約聖書:詩編 第139編 1b~6節(新共同訳)P.979
「主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。」
奨励: 何でも話していいよ
皆さんには家族や友達がいますか。時に心がつながっていないという風に思う時もあるかもしれませんが、きっと家族や友達がいることと思います。友達や家族から、「何でも話していいよ。いつでも聞くから。気のすむまで話して。」と、言われたことのある人もいるかもしれません。
しかし、私たち人間は、相手の時間を拘束することや、関係が気まずくなること、その場の楽しい雰囲気が壊れること、自分の明るいイメージが崩れることなどをおそれて、家族や友人に言えないこともあるのではないでしょうか。
人間は、溜め込みすぎて頑張りすぎると、必ずどこかにひずみができて、疲れ切ってしまうのです。適度に吐き出す場所があるとよいですが、なかなか全てをさらけ出して、初めから話すのも疲れるものです。さて、今日の聖書の言葉。4節まで聴きます。詩編139:1b―6「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。2座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。3歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。4わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。」これは、詩人が神さまに話している(祈る)言葉です。そう、聖書の神さまは、あなたを知っておられるのです。ご飯を食べるために、テーブルについたり、片付けるために立ち上がったり、など、言動の一つ一つを悟っていて下さる神さま。心の全ての動きを知っておられます。私たちが、何かを話し出す前から、私たちが何を心に抱いているかもご存じです。お見通しなのです。そんな神さまがおっしゃいます。「もう溜め込まなくていいよ。何でも私に話しなさい。私はあなたの心の思い、何に傷ついているのか、悩んでいるのか知っているよ。」天の父なる神さまは、私たちを囲んで、力ある御手を私たちの上に置いてくださるのです。「5前からも後ろからもわたしを囲み、御手をわたしの上に置いていてくださる。6その驚くべき知識はわたしを超え、あまりにも高くて到達できない。」私たちには考えもつかない方法で、神さまは解決策を与えられます。
私たちがイエスさまに立ち返るとき、 天の神さまが送って下さった、十字架と復活のイエスさまは、私たちをがんじがらめにしている罪や、死の恐怖を洗い流してくださいます。今、その場で、イエスさまに、「何でも話して」みませんか。聞いていてくださいます。
祈り
「天の神さま、持っていきどころのない心の葛藤、人には言えずに無理していること、あなたはすべてをご存じです。どうか、イエスさまに「なんでも話す」ことができますように。そして、話すべき人、すべきことを示してくださり、一つ一つ解決策を与えていただけますように。イエスさまに在ってアーメン。」