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5月6日(金)全学礼拝

2022.05.06
オンライン礼拝

奨励者:鈴木光(日本基督教団勝田教会牧師、本学講師)

旧約聖書:詩編 第37編23節(新共同訳)P.869

「主は人の一歩一歩を定め

 御旨にかなう道を備えてくださる。」

奨励: 神様の御心は?

 

 自分の人生の歩みを振り返ってみますと、大学生の時代の大きな関心事は自分の将来のことであったと思います。私は大学生になった時、既にクリスチャンでしたので「できれば神様の御心にかなった生き方をしたい」というくらいは思っていました。一方で、クリスチャンだからこそ「どうせ死んだら天国いくんだし、残りの人生はエンジョイ勢でいけたらオッケー」という、わりと人生を消化試合系の軽いノリで考えていたと思います。

 そんな人間でしたが、人生の挫折や悩みはあるもので、ある日、自分の罪を深く自覚して神様の前で大回心をする機会が与えられました。そこで、イエス様の愛の素晴らしさを自覚するようになり(それまでもクリスチャンでしたが頭で信仰を理解している感じで、実感が伴ってなかった気がします)、もっと積極的に「神様の御心にかなった生き方をしたい」と考えるようになりました。

 ところが、そうなってみると今度は「神様の御心って何だろう?」となりました。将来の進路、職業の選択、どれを選べば御心で、どれを選ぶと御心ではないのか、はっきりと聖書に書いておいてくれたらいいのですが、「光、お前の将来の仕事はこれだ」とはどこにも書いていないのです。

 ある日、先輩のクリスチャンが「神の御心はこうだ、と書いてある箇所は一つしかない」と教えてくれたのは、第一テサロニケの信徒への手紙4章3節でした。

「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです」

 軽い衝撃を受けました。これまでの自分は、神様の御心は具体的にどれを選んで、何をするか、ということだと思っていました。ところが、神様の御心は「何をするか(Doing)」よりも「どうなるか(Being)」だと言うのです。完全に見当違いをしていた。

 「聖なる者」とは、言ってみれば神様と完全に一致していくことです(神になるということではなく)。大事な時だけ自分の選択肢を神様に決めてもらうのではなくて、いつも日々の中で、人生の毎日の旅路の中で、神様と向き合って、神様といっしょに生きていく時に、自然と聖なる者となっていく。そして、聖なる者とされていく人は、自然と歩むべき道も定められていくものなのです。

「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩37:13)

大切なのは何をするかではなく、どうなるのかです。主と向き合って歩もうとするならば、あなたの道は必ず祝福されるでしょう。

 

祈り

「愛する神様、この文書をとおして共に礼拝している皆さん一人一人が、あなたと向き合い歩む中で、その一歩一歩を確かなものとされますように。祝福してください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」