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4月21日(木)全学礼拝

2022.04.21
オンライン礼拝

奨励者:村松晋(聖学院大学人文学部日本文化学科教授)

新約聖書:マタイによる福音書 10章39節(新共同訳)P.19

「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

奨励:活き活きと生きるためには

 

 今日は新学期に臨み、「活き活きと生きるためには」どうしたらよいか、聖書に聴きながら皆さんとご一緒に考えたいと思います。

 私たちは誰しも、張りのある生活、充実した生き方を送りたいと願っています。しかし、私の見るところ、一見、「楽しそう」に見えても、心の底では虚しさを感じている人は少なくないようです。虚しさ、それは生きがいとか充実感の正反対の感情です。何をやっても張り合いが無い、何をやってもおもしろくないということです。

 私たちはなぜ、虚しさを感じるのでしょうか。この点、私が経験から言えることは、やりたい放題・したい放題の、自分中心の生活からは生きがいや充実感は決して得られず、虚しさに陥らざるを得ないということです。それがなぜなのか私にはわかりません。ただ、そうした虚しさを何度か経験させられた自分が言えることは、この逆説は、人生の動かし難い真実であるということです。

 嘘だと思う人は、自分も試してみるといいと思います。自分中心の、やりたい放題・したい放題の生活をする、したがって、嫌なことからは逃げ続け、課せられた責任も果さない。そうすることによって、充実感や喜びが得られるのであればそれもよいでしょう。しかし断言できますが、そういう生き方の果てに待っているのは、虚しさ以外の何ものでもありません。いのちは得られないのです。

 このことをふまえて、今日の聖書の箇所を読んでみてください。「いのちを得る」にはどうしたらよいか、的確な答えが示されています。その内容を私の言葉で言いかえるならば、活き活きと生きるためには、嫌なことからは逃げ、責任を果たすことを避け続けるような生き方を止めなければなりません。自分に課せられた日々の義務、やるべきことを、心をこめて誠実に、一つ一つ果していくことです。私たちはそういう生活のなかでこそ、生きていることの充実感を覚えながら、活き活きといのちを漲らせて生きていくことができます。今日の聖書の個所はそうした人生の真実を私たちに告げていると私は見ています。

 新学期に臨み、今、虚しさを感じている人は、是非試してみてください。聖書は机の上で読む本ではなく、生涯を賭けてみずから体験していく本です。皆さんが「聖書を生きる」ことで、活き活きと、いのちにあふれる毎日を送られることを、切に願っております。お祈りいたします。 

 

祈り

 「神様、文書礼拝の形ではありますが、今日こうして、聖書の言葉に共に耳を傾けるひと時を与えてくださいまして、感謝申し上げます。学生たち、殊に新一年生が、聖書の言葉をみずから生きることにより、いのちを得ることができますように、虚しさに陥ることなく活き活きと生きられますように、どうか学生一人一人の歩みを見守り、導いてください。この一言の感謝と願いを、イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。アーメン。」