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1月31日(水)全学礼拝―田村綾子先生(賛美歌BGM付)

2024.01.31
文書礼拝

奨励者:田村綾子(副学長、心理福祉学部兼人間福祉学部長)

新約聖書:フィリピの信徒への手紙 第2章3~8節(新共同訳)P.362

「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」

奨励:共に在るよろこび

 

 

 今日の聖書箇所は、私が受洗した時に牧師の先生からいただいたみ言葉です。当時私は、家族をガンで亡くして深い悲しみの中にいました。お葬式の翌週からその教会の礼拝へ日曜ごとに通って神さまの声を聞くことだけが私の心の慰めでした。けれど、本当に慰められたわけでなく、ただひととき悲しみを忘れられる程度でした。

 そして、悲しみから逃れるように頼まれる仕事を全て引き受け、休日もなく働き、帰宅したら眠るだけの忙しい日々を送りました。

 そんな生活の無理がたたって身体を壊し入院しました。点滴を受けながら考えたのは、私はずいぶん傲慢だったなあということでした。仕事をなんでも引き受けているうちに、自分が優れていると勘違いするようになっていたのです。病床では、私はただの患者でした。お化粧もせずお風呂にも入れず、看護師さんからトイレの回数を聞かれ、おかゆをやっとの思いで飲み込む状態のただの患者でした。

 幸い、数日で快復して、私は退院できました。

 でもこの時に思いました。自分は“皮”をはがされれば「ただの人」に過ぎないと。それでも、心配して駆け付けてくれる、暖かく見舞ってくれる友人がいました。私は、自分がどんな情けない姿をしていても変わらずに笑顔で接してくれる本当の友人の存在に気づきました。立派な行いや良い仕事をしている時に重宝にしてくれる人はたくさんいます。でも、みじめな姿になっても、それを含めて「私」として受け入れてくれる人こそが本当の友人だといえるのではないでしょうか。

 この後もうひとつ、初めて気づいたことがあります。

 教会で、いつもそっと私を見守ってくださり、「愛する者を天に送った悲しみに包まれている者にも神さまの愛を」と牧師の先生がいつも祈ってくださっていたことです。そういう目で周囲を見渡すと、名も知らない教会員の方が「最近少しお元気そうですね」とか「気持ちが楽になられましたか」と声をかけてくださっていることにも気づきました。

 私は悲しみのあまり自分の殻に閉じこもって神さまとだけの対話を求めて教会に足を運んでいましたが、そんな私のことを知っていて、そっと見守ってくださるたくさんの方がいました。私は一人ぼっちではないのだと知ることができて、とてもあたたかい気持ちになりました。どんな状態の時もそばにいてくれる存在、「今」の私と同じ時に「在ってくださる」ことの貴さを知らされました。

 その後、私は牧師の先生に導いていただいて洗礼を受けました。神さまを信じるということだけで繋がりをもてる人々がいる、共に居合わせることができる、そういう場所に私も加えていただきたいと考えたからです。

 

 今日の聖書箇所にあるように利己心や虚栄心に凝り固まっていると、人の暖かみに気づくことさえできません。自分のことばかりを主張するような自分本位の気持ちに支配されるのではなく、むしろ自分を無にして、身を低くして生きなさいと教えてくださっています。

 このように、へりくだり他人のことに注意を払うことは、人の心を助け強めます。

 神さまが自分を無にして私たちと共に在ってくださる、そのことを信じて集う一人ひとりが抱える事情は異なります。でも、そのような外の姿にとらわれることなく、今、ここに、神さまを信じて共に集えることに大きな慰めを感じることができます。

 まだ神さまを信じるに至らない方もいらっしゃると思いますが、まずはお互いに立場や着飾った姿を抜きにして、素のままの自分になって、本学で共に居合わせることの喜びを感じられたらと思います。今、世の中では孤立死・無縁死という現象があります。誰からも相手にされず、誰にも必要とされないことほど無力さを感じることはありません。しかし、それは何か役割を持っているから付き合い、役割も地位も何もない人とは付き合わないという事態の結果ではないでしょうか。神さまは、そうした人、一人ひとりのそばに、ただいてくださいます。そこに共に居合わせることで、私たちの存在を確かなものにしてくださいます。この礼拝に与っている方々もそういう形で周囲の人と、今、共に在ることを大切してください。神さまを信じる者同士、ただそれだけで他の役割や立場は要りません。そのままの人として見つめ、自分もまた立場や着飾りを捨てて率直に、今、ここに共に在るということを喜び合いましょう。それがきっと生きる力になると思います。

 

 

祈り

「天の父なる神さま、御名を賛美いたします。

 学生一人ひとりの学びや生活をお支えくださり、期末試験まで守ってくださったことに感謝いたします。春休み期間を迎えますが、卒業を控える者には残りの学生生活の充実を、引き続き在籍する者にはリフレッシュのための良い時間となりますようお導きください。

 能登地方地震の被害について我が事として心配し、一日も早く被災者の生活が回復されますようにお祈りします。必要な支援を私たちが行うことができますよう道をお示しください。

 今年度の全学礼拝の最終日にあたり、神さまが私たちを日々礼拝に招いてくださり心の安らぎを与え励ましてくださったことに感謝いたします。また、年間を通して奉仕してくださった教職員一人ひとりを神さまが労ってくださいますようにお祈りいたします。

 このお祈りを主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。 アーメン」