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12月14日(木)全学礼拝―塚本良樹先生(賛美歌BGM付)

2023.12.14
文書礼拝

奨励者:塚本良樹(キリスト者学生会〈KGK〉副総主事、本学講師)

新約聖書:ルカによる福音書 第7章18~23節(新共同訳)P.115

「ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」」

奨励:来るべき方は、あなたでしょうか。

 

 

 本日の箇所に登場するヨハネという人物は、時の権力者ヘロデ王を批判して逮捕され、牢獄に入れられていました。彼は、苦しみのなかで、恐れのなかで、孤独のなかで日々を過ごしていました。そんなある日、彼の弟子たちが、イエス・キリストの働きを彼に報告します。それを聞いたヨハネは、弟子たちを通してイエスに尋ねさせます。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」。

 救い主であるイエスがこの世界に来た。救い主は悪を滅ぼし、正義を実現し、素晴らしい世界を実現してくださるはずではないか。それなのに、なぜヘロデという暴君がいまだ権力を振るっているのか。なぜ自分は牢獄のなかにいるのか。ひょっとしたら、この方は救い主ではないのではないか。

 私たちも、クリスマスを過ごすとき、ヨハネと同じような「問い」をもつことがあります。救い主とされるイエス・キリストがこの世界に来たのに、この世界にはいまだ悪が力を振るっている。イエスは無力なのではないか。他のものを頼りにした方が良いのではないか。

 驚くべきことに、ヨハネの問いに対して、イエスが答えた内容は、すでにヨハネの弟子たちがヨハネに報告したことの繰り返しでした。つまり、イエスがなしていることを、改めてよく聴きなさい、よく考えなさいということでした。

 確かに、イエスは、すべてを完全に変えたわけでも解決したわけでもありませんでした。しかし、確実にこの世界を変えました。苦しみのなかにいる人々に寄り添い、助け、新しい生き方を教え、そして他者のために、十字架において命を捨てました。その愛に感動した多くの人々が、イエスの生き方に倣い、この世界を少しでも良い世界にしようと今も働いています。

 それは偶然だ、心理学的な効果だと言う人はいるでしょう。しかし、私自身、イエスの愛に感動し、イエスの愛によって人生が変わった者として思うのは、それは私にとっては奇跡としか言いようがないということです。

 苦しみ、恐れ、孤独のなかにあるときには、そのことを忘れ、疑いに陥ってしまうこともありますが、あえて立ち止まり、イエスがなしたことを、聖書を通して改めてよく聴き、祈りのなかで改めてよく考えるとき、元気が湧いてくるのです。

 イエスは、あなたにも語られています。「わたしにつまずかない人は幸いである」。クリスマスが近づいています。苦しみ、恐れ、孤独のなかにあるときに、イエス・キリストの物語を改めて、よく聴いて、よく考えてほしい。このイエスの招きに、あなたはどう応えるでしょうか。

 

 

祈り

「天の父なる神様。この奨励を読んでくださったお一人おひとりに、あなたからの祝福が、救いがありますようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」