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11月8日(水)全学礼拝 召天者記念礼拝ー菊地順先生(賛美歌BGM付)

2023.11.08
文書礼拝

奨励者:菊地順(政治経済学科特任教授)

旧約聖書:詩編 第57編8節(新共同訳)P.890

「わたしは心を確かにします。

 神よ、わたしは心を確かにして

 あなたに賛美の歌をうたいます。

 

奨励:召天者記念礼拝「大木英夫先生を偲んで―『一所懸命』の生涯」

 

 

 キリスト教では、伝統的に、11月1日を「聖徒の日」と呼んで、亡くなられた人たちを覚える礼拝を守ってきました。聖学院大学でも、それに因んで、毎年11月1日に近い日の礼拝を、亡くなられた人たちを覚える礼拝として守っています。今年、皆様の関係者の中にも、亡くなられた方がおられるかもしれません。この一年、聖学院大学の関係者の中でも、何人かの方々が天に召されました。退職された先生が3名、また退職された職員の方が3名、天に召されました。心より、哀悼の意を表します。6名の方とも、退職されてだいぶ日が経ちますので、直接ご存じの方はほとんどおられないと思います。しかし、今では皆さんが直接には知らないこうした方々によって聖学院の歩みが支えられてきたことを、改めて感謝をもって思い起こしたいと思います。

 

 今日は、そうした中のお一人、昨年の10月に天に召された大木英夫先生について、少しお話をしたいと思います。大木先生は、学校法人聖学院の理事長を長い間務められた先生です。1985年の秋から2011年3月まで、実に25年半にわたって理事長を務められました。その間、1988年4月の聖学院大学の開学を初めとして、その後の聖学院大学の拡充・発展(学部増設、大学院開設等々)にご尽力された先生です。

 大木先生は、陸軍幼年学校の最終学年の時に敗戦を迎え、その後キリスト教に出会い、1947年、東京都北区にある滝野川教会で洗礼を受け、その後牧師になる志を与えられて現在の東京神学大学に入学されました。この滝野川教会は、女子聖学院中学高等学校の斜め向かいにあり、聖学院の母教会とも言える教会です。大木先生は、その後牧師となり、しばらくアメリカに留学しましたが、帰国後は、東京神学大学で教鞭を執る一方で、滝野川教会の牧師となり、聖学院にも理事として関わられ、1985年秋に理事長に就任しました。そして、それから25年余りにわたって、理事長を務められたのです。ですから、大木先生は、滝野川教会の牧師時代から、聖学院の理事として、また理事長として、長年にわたって聖学院に仕えられた先生です。大木先生は、神学者としても高名な方ですが、聖学院にとっては、何よりも、長年にわたって、聖学院のためにご尽力下さった先生であることを覚えたいと思います。そして、今日は、特に学生の皆さんに、大木先生がしばしば口にされていた一つの言葉を紹介して、大木先生を偲びたいと思います。

 その言葉とは、「一所懸命」という言葉です。大木先生は、しばしば「一所懸命」が大事だということを話されました。「一生懸命」という言葉もありますが、大木先生は「一所懸命」が大事だとおっしゃったのです。「一生」を捧げて何かを成し遂げることも大事だし、素晴らしいが、「一所」、つまり一つの所に身を捧げて仕えることも大事だとされたのです。そして、大木先生は、どちらかというと、その「一所」を強調されました。それは、聖学院との関係から見ますと、正に大木先生の歩みそのものであったとも言えます(大木先生は、長らく東京神学大学で教鞭を執られましたが)。

 

 現代は、転職が一般化してきた時代です。昔のように、同じ会社で定年まで勤めるということは、昔ほど常識とはされなくなってきました。むしろ、機会があれば転職し、スキルアップを図り、より充実した仕事をしたいというのが常識化しつつあります。ですから、「一所懸命」という生き方は古い生き方かもしれません。しかし、この生き方そのものは、大切なのではないでしょうか。現に今置かれているところで全力を尽くすということは、人として大切なことではないでしょうか。そういった生き方が、自分の力を高めることでもあり、また生活が充実していくことでもあると思います。そして、たとえ転職が生じるとしても、それは、そうした歩みがあってこそ生きてくるものだと思います。

 今日の聖書箇所には、「わたしは心を確かにします」という言葉が記されています。一昔前の口語訳聖書では、「わたしの心は定まりました」という言葉になっていて、こちらの方が分かりやすいかもしれません。これを語ったのは、ダビデという人です。ダビデはイスラエル王国の第2代の王になった人ですが、王になる前、先代の王サウルから妬まれ、その命を狙われました。そして、サウルの魔の手から逃れなければならなかったのです。そこには深い不安と動揺があったことと思います。しかし、そうした中、ダビデは改めに神を信頼し、神にすべてを委ねて生きる信仰を与えられたのです。そして、人を恐れるのではなく、神を信頼して生きることを決意するのです。たとえ、周りには、自分の命を狙う敵の手が迫っていようとも、それを恐れず、神への信頼に生きることを決意するのです。そのとき、ダビデの心は確かとなり、心が定まったのです。不安の中で動揺する心から、確固とした信頼に生きる心へと変わったのです。それが、心を確かにする、心が定まったということです。そして、その後、ダビデはサウルの魔の手から逃れ、第2代王としてイスラエルを力強く導くことになったのです。

 「心が確かになる」、「心が定まる」、これは、わたしたちにも大事なことではないでしょうか。そして、それは、具体的な場において起こってくることではないでしょうか。自分が置かれた場所で、神を信頼し、心が確かにされ、定められて、全力を持って生きるということではないでしょうか。それは、取りも直さず、「一所懸命」に生きるということではないかと思います。そして、そうした生き方こそが、自分にとってのみならず、周りの人たちにとっても、活力と希望の源となっていくのではないでしょうか。「一所懸命」に生きる。今日は、大木先生を偲びながら、その一事に心を寄せたいと思います。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる御神、み名を賛美いたします。聖学院大学は、今年創立35周年を迎えることができました。この歩みの上に、何よりも、あなたの守りと導きがあったことを覚え、心よりみ名を賛美いたします。また、その歩みを、それぞれの場にあって支えられた多くの先人たちのことを覚え、一人一人に心より感謝いたします。わたしたちもまた、それぞれの置かれた場所にあって、力強く歩んで行くことができますように、守り導いて下さい。主イエス・キリストのみ名によって、お祈りいたします。アーメン。」