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11月9日(木)全学礼拝―金谷京子先生(賛美歌BGM付)

2023.11.09
文書礼拝

奨励者:金谷京子(心理福祉学科名誉教授)

新約聖書:マタイによる福音書 第28章1~20節(新共同訳)P.59

「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

 婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」」

 

奨励:残されたもの

 

 

 9月に、映画や本にもなり、テレビでも取り上げられたので、ご存じの方もいるかもしれませんが、釜石市にある「風の電話」に行ってきました。釜石市は東日本大震災で沿岸部は甚大な津波の被害に遭い、釜石市全体で888人の死者が出た所です。「風の電話」は、ベルガーデン鯨山という緑豊かな素敵なガーデンの一角に設置された電話ボックスです。ボックスの中の電話をかけに、震災で大切な人を亡くした多くの方々が訪れています。電話は本当に通信できるわけではありません。しかし、不思議なことに、このボックスに入ると大切な人に電話を掛けたくなってしまうのです。この電話は喪失体験をした人にグリーフケアの役目を果たしているのです。

 想像するに、電話を掛けに来た方の中には、残された者が抱きがちな、サバイバーズギルト(罪悪感)を抱いていた方も多かったのではないでしょうか。そして、「なぜ、あなたが居なくなり、自分が生き残っているのか」「あの時、なぜ助けられなかったのか」「この先、あなたの居ない世界でどう生きていけばいいのか」などなどと残された者としての困惑が電話で語られたのではないでしょうか。

 さて、今回注目した聖句について、見ていきたいと思います。この箇所は、イエスが十字架につけられ、死んで葬られた墓に、失意のうちにある女たちが行ったところ、墓は空で驚いていると、天使が現れ、イエスは死人のなかからよみがえったことを弟子たちに伝えるように言われます。そして、弟子たちもガリラヤでイエスに会い、福音を述べ伝えるようにイエスから言われます。復活したイエスを見て半信半疑でいた弟子たちに、イエスはこう言います。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

 イエスは病死とかではなく、殺されたのです。しかも、墓に行った女たちも、弟子たちも十字架に掛けられるイエスを助け出すことはできなかったのですから、何もできなかったことにさぞかし悔しく、苦しい思いをしたことでしょう。そして、イエスが亡くなってこの先どうしたらいいのか不安と戸惑いでいっぱいだったでしょう。そんな残された者に対して、このメッセージは、この先を生きる力となったと思います。

 私たちは、愛する人、大事な人との死別の体験はそうそう無いかもしれません。しかし、親しい人や大事な物との別れは体験した、または体験する可能性はあります。失うことの悲しさや寂しさを味わうのは辛いことです。そのようなとき、イエスの「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とのこの言葉を心に留めて、私の力になってくれる方がいること覚えて、前に進んで行けたらと思います。

 

 

祈り

「神様、私たちは大きな喪失の体験をすると、茫然自失となり、ときには生きる希望を失ったり、学業や仕事が手につかなくなったりします。東日本大震災の大きな災害に遭った方々もそのような体験をされた方が多いことと思います。また、今、戦争状態にある国の方もそのようかもしれません。どうか、失意の底にあるとき、イエス様が残された者に告げた「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」の言葉を覚えて、決して見捨てられているのではなく、力になってくださる方が居ることを思い、前に進めるようにどうぞお導きください。この祈りを主の御名によってお捧げします。アーメン。」