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11月24日(金)全学礼拝―熊江秀一先生(賛美歌BGM付)

2023.11.24
文書礼拝

奨励者:熊江秀一(日本キリスト教団大宮教会牧師)

新約聖書:エフェソの信徒への手紙 第2章10節(新共同訳)P.353

「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」

奨励:シリーズ礼拝  ― 聖学院120周年を覚えて ―「神の作品」

 

 

 神さまは私たち一人一人を「神の作品」と呼びました。

 「作品」に、相対する言葉として「製品」があります。「製品」は工場等で大量に生産され、壊れれば捨てられ、いくらでも代わりがあります。

 しかし「作品」は違います。芸術作品のように作者が全精力と愛情を傾けて造り、二度と同じものは造れず、その作品に代わるものはありません。

 私たち一人一人は神がご自分の全精力を傾け、愛を込めて造った神の作品です。

 しかしこう思う人もいるかもしれません。私を神の作品として造って下さったのはうれしいけど、できるならもう少しましに造ってほしかった。もっと頭を良く、もっと美しく、造ってほしかった。これはだれもが感じます。私たちは神の作品だけれども、欠けた所を持ちます。それは神が失敗したということでしょうか。そうではありません。神は欠けを与えたまま、私たちを造りました。なぜなら神は私たちに欠けが必要なことをご存じだからです。

 生物は一般的に高等な哺乳生物になればなるだけ、完成した姿で生まれます。しかし人間だけは例外です。親の手厚い保護がなければ生きてゆけない姿で生まれます。未完成、欠けだらけの姿です。なぜ神は人間を欠けある姿で生まれさせたのでしょう。欠けを通して成長させるためです。何も出来ない人間の赤ちゃんは親の手の中で、世話してもらい育てられます。その中で人間は信頼する恵みを感じます。そして人は人と愛し合い、助け合い、共に生きていくものだということを知ります。それは生きていく上での宝となります。

 人間が欠けを持っているということは、神の深いご計画です。欠けがあるから私たちは成長し、支え合うのです。

 そして私たちに欠けがあることにはもう一つ大きな意味があります。それはキリストの恵みを受ける者として造られたということです。私たちは欠けゆえに他人と支えあい、信頼し合うことを知ります。しかしそれだけでは埋めきれない悩みもあります。最も信頼している親や親友にも相談できない悩みがあります。その究極の問題は罪です。この罪の行き着くところは死であり、滅びです。その私たちの罪を神はキリストによって赦して下さったのです。

 私たちは「神の作品」です。しかも「キリスト・イエスにあって」、キリストがご自分の命を捨てるほどの愛によって造られた「神の作品」です。そのことを知って歩む時、欠けの中にキリストの恵みがあふれます。今日、「神の作品」としての恵みを心に留めましょう。

 

 

祈り

「天の父なる神さま、私たちが神の作品であることを悟らせて下さい。私たちの欠けに込められた神の恵みに気づかせて下さい。アーメン。」