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10月26日(木)全学礼拝 シリーズ礼拝―「聖学院120周年を覚えて」―清水正之先生(賛美歌BGM付)
奨励者:清水正之(聖学院大学名誉学長・聖学院大学名誉教授)
新約聖書:ルカによる福音書 第6章31~32節(新共同訳)P.113
「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。」
奨励:シリーズ礼拝 ― 聖学院120周年を覚えて ―「愛と忖度」
それぞれの境遇によって違いはあるかと思いますが、3年を超える新型コロナ禍のもとで、友人知人と気楽に会って食事をするという機会が減ったという人は多いでしょう。今後感染が治まっても、人との関わりの形が、旧に復することはないのでは、という見方もあります。こんな中で私たちは、学院の120周年を祝うこととなります。
感染状況の変化、あるいはある意味での慣れは、そうした私たちの日常に少し変化を与えてもいます。私事ですが、今年、暫く中断していたある気の置けない知人たちのグループの会食を再開しました。会場は、平日夕方のデパートのレストラン街、どの店も二分の一か、三分の一の人の入り。かつては席待ちの列がふつうの風景でした。お客は、仕事のつきあいというより、家族のような親密な関係が多いと見受けました。
オンラインでのやりとりが、人間の関係のうちにたしかに浸潤し大事な要素となっていることは確かにあります。しかし対面的な人との関わりの世界は必ず戻ってきます。
人との交わりの世界、とくに対面的な関わりの世界は、愛情や友情といった心地よさのみで満ちた安楽なものではありません。人はそれぞれの思い、願い、希望を持っています。思い通りに進んでいきたいと願いつつ、他者はしばしば私の前に立ち塞がり、ときに障害となり、敵対し、あるいは深く心を傷つけられることさえあります。生きることは、他者という存在とどう交わり関わっていくか、とほぼ同義ともいえます。
聖書では繰り返し、愛が説かれます。愛は徹底的に他者を慮ることを教えています。日々の実感からはまるで寝言をいっているかのように聞こえかねません。
ただここに真理があるとすれば、どの様な真理があるでしょう。聖書は、私たちが、自らの関わる場所、共同体のなかにあって、自らの思いをつらぬくことと、他者の思いを徹底的におしはかることの二つの方向の事柄を示唆し、その上で矛盾相剋しかねないこの二つの道を、ふたつとも全うする事を教えていると思えます。
「忖度」という言葉が世間ではやっています。本来の忖度は、他者の心を思いやることであり、真実を曲げたり、他者への過剰な配慮から沈黙するようなことを意味してはいません。本来の忖度とは、あくまでも他者の思いを推し量り配慮することです。推し量りつつ、他者と共に生きるこの場所を、より善いものとして行く、そこにこそ、教えに適った気高い人の生き方があるのだという理想を示してくれていると、聖書の言葉を受け止めたいと思います。まさに大学が掲げる「神を仰ぎ 人に仕う」ことの深い意味です。
祈り
「皆さん、祈りの姿勢をとってください。
大変過酷な3年間がすぎ、ふたたび平生の生活が戻ってきています。皆さまの、これからの大学生活が豊かなものとなりますよう。私たちは、日々の生活の中で、他者との軋轢を避けることができません。避けるのではなく、その只中で、深く他者を慮り、自分ができる範囲で、他者に手をかす。そのようにありたいものです。どうか、神様、私を御意にかなううつわとなされ、御心にかなう生活を私たちがおくることができ、同時に他者との生を全うする道をあゆめるよう、知恵と御守りをお示し下さい。アーメン。」