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10月19日(木)全学礼拝 シリーズ礼拝―「聖学院120周年を覚えて」―渡辺英人先生(賛美歌BGM付)

2023.10.19
文書礼拝

奨励者:渡辺英人(政治経済学科准教授)

新約聖書:ローマの信徒への手紙 第12章4~8節(新共同訳)P.291

「というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。」

奨励:シリーズ礼拝 ― 聖学院120周年を覚えて ―「思えば遠く来たもんだ」

 

 

 中学一年生の夏休み、当時、図書委員をしていた私は夏休みの図書室でこの詩の一節に出会いました。「思えば遠く来たもんだ」(中原中也『頑是ない詩』1935年)。詩人の思いとはまったく別に、このフレーズがいつも頭の中に残っていました。

 私が大学生だったとき、いまとは違って、留学生はまだ珍しい存在でした。夏休みが終わって後期(秋学期)に入ったちょうどいま頃、「〇〇先生のゼミに留学生が来たらしいよ」と聞いて、「みんなで会いに行こうぜ!」とばかりに、よく押しかけたものでした。その後、ゼミのあとや授業の無い日には、そのR君をラーメン屋、居酒屋、そして上野、浅草、秋葉原とよく連れ回しました。その頃の私たちは、「留学生」という存在に対して、「遠くからよく来たね」「何かとたいへんだろうね」「ホームシックなってはいないかな」「言葉は大丈夫かな」など、なにか手伝ってあげたい、応援してあげたい、という気持ちでいっぱいでした。しかし振り返ってみれば、手伝ってあげたい、応援してあげたい、その真意には「早く私たちの生活や文化に慣れて欲しい」という「みんないっしょ:同化」を良しとする考えが多分にあったように思います。

 その後、R君は2年間の留学を終えて帰国したのですが、数年して日本に「戻って」来ました。そして彼は日本の情報通信関連会社に就職し、日本で結婚して、娘の華子(はなこ)さんが生まれました。もう何年も前のことになりましたが、招待されて華子さんの結婚式に参列しました。出席者たちの国籍も人種もさまざまで、服装も黒い礼装姿や、あるいは白色を避けて落ち着いた色調の日本で見慣れた従来のモノクロームな結婚式とは違って、 まさに総天然色。それぞれが自分らしさを思い思いに着飾って、それはそれはにぎやかな集まりになりました。

 いま私たちの学舎では、たくさんの留学生が集まっています。思えば遠く来たもんだ、という詩の一節に出会った中学一年生の頃、留学生がまだ珍しかった大学生の頃とは大違いと思えるほどに留学生は身近な存在になりました。休み時間になるとさまざまな言葉が行き交い、「みんないっしょ」ではなく、異文化間・多文化間コミュニケーションに花が咲きます。最近では多様性とかダイバーシティという言葉をよく聞くようになりましたが、やはり100年前に活躍した別の詩人の言葉を思い出しました。

「みんなちがって、みんないい」。(金子みすゞ『私と小鳥と鈴と』1924年)

 

 

祈り

「御在天の神様、聖名を賛美いたします。秋学期が始まり、この学舎における学生たちの生活もふたたび軌道に乗りはじめました。教室で学ぶ者、資格取得や就職活動に勤しむ者、すべての若人たちの努力する姿に微笑みをお与えください。すべてを感謝し、父と子と聖霊との聖名によりて祈り願います。アーメン。」