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10月18日(水)全学礼拝 シリーズ礼拝―「聖学院120周年を覚えて」―和田光司先生(賛美歌BGM付)
奨励者:和田光司(欧米文化学科教授)
新約聖書:コリントの信徒への手紙一 第3章6~7節(新共同訳)P.302
「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。」
奨励:シリーズ礼拝 ― 聖学院120周年を覚えて ―「一生を越えて」
今年、聖学院は120周年を迎えました。「120年」とは、どのような長さでしょうか。それは、「通常の人間の一生を越える」時間です。「一生を越えている」ということは、ある人が始めた「業」(わざ)をその人が手放して、他の誰かに委ねなくてはならない、ということになります。
少し私の話をしましょう。私がキリスト教信仰を持ったのは、高校2年生の時、旅行中に思いがけない事情で立ち寄ることになった、九州のある教会においてでした。山地の谷間にある寂しい町の小さな民家でしたが、そこにおられたカナダ人の女性宣教師との出会いに大きな影響を受けました。その方は戦後その地方で開拓伝道を始め、すでに近隣にいくつかの教会を形成するまでになっていました。今から25年ほど前までは、時たま電話などの交流がありましたが、以後は「認知症になっておられる」という話を耳にする程度でした。10年ほど前に九州への出張があり、その機会に教会を訪問してみました。大学生時代以来の訪問でしたが、町も教会も先生も一変していました。過疎の寂しかった町は自然の豊かさでマスコミの注目を集め、東京からの移住者も多く、都会人好みのしゃれた町になっていました。施設におられた先生は重度の認知症で、誰も認識できず、会話もできない状態でした。他の病気もあり、数年後に召天されました。教会は移転して立派な新会堂になり、東京からの移住組もおられ、ほとんどの教会員も新牧師も往年の先生の姿を知らないようでした。すべてがあまりにも変わっていて、私は浦島太郎のように、信仰を与えられたあの特別な思い出深い世界、寂しい町と小さな教会と輝いていた先生が、まるで夢物語であったかのように感じました。
しかし、私は過去を喪失したような暗い気持ではなく、逆になにか深く納得するものを抱いて東京に戻ったのです。頭では同じ教会であることを理解できていても、あまりの違いのゆえに、実感としては二つの世界が私の中で一つになるのは難しく、今もそうです。しかし、先生のスピリットが様々な点で今の教会にも受け継がれていることはよく分かり、とても嬉しく思いました。そして、時が経てば教会や周囲に変化が起こるのは当然であり、変わっていくからこそ続いているのではないだろうか、とも思いました。先生は最初からこの「業」を自分の枠に留めようと考えてはおられず、ご自分が忘れられていくことも「良し」とされていたことでしょう。私の思い出も含めて、個々人の世界の枠を越え出ていくのが教会の本来の歩みではないか。そして異なる世界の枠を神様が繋いでくださっていることが素晴らしいのではないか、と思わされたのです。
私たちは創立から120年後に今の聖学院を委ねられています。学生の皆さん一人一人もこの業に参加しています。今と昔とは違いますし、今後も聖学院は予想しなかったように変化していくかもしれません。しかし、神様の導きを求めつつ、創立に関わられた方々の「神を仰ぎ 人に仕う」の精神を今の時代において少しでも実現し、受け継いでいくことができればと願っています。
祈り
「天におられる父なる御神、あなた様の導きによって始められた聖学院の歩みを、私たちが今の時代において、少しでもその精神を守りつつ受け継いでいくことができますように、心より願います。イエス・キリストの御名によりお祈りします。アーメン。」