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10月27日(金)全学礼拝 シリーズ礼拝―「聖学院120周年を覚えて」―竹井潔先生(賛美歌BGM付)
奨励者:竹井潔(政治経済学科特任教授)
新約聖書:ヨハネによる福音書 第16章33節(新共同訳)P.201
「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
奨励:シリーズ礼拝 ― 聖学院120周年を覚えて ―「勇気を出しなさい」
「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」とイエスは弟子たちに述べてます。
勇気を出すとはどのようなことでしょうか。私は小さいころ、水への恐怖心から学校のプールで飛び込むことが苦手でした。「勇気を出して飛び込め!」との先生の掛け声で、覚悟を決めて飛び込んだのを覚えています。これは些細な例ですが、私たちは、学校や家庭、社会それぞれの場において様々な不安や悩み、困難な状況に直面し、それを克服していかなくてはならないことが出てきます。
イエスは「勇気を出しなさい」と言われます。勇気はギリシャ語ではサルセーテ(θαρσεῖτε)であり、英語ではcourageです。すなわち危険、苦難、不幸にあっても恐れず不安を抑えることのできる勇気です。
私たちの選択は2つあると思います。困難な状況から逃避する自分。もう一つは困難を受け入れて、それに立ち向かう自分。後者の方は不安や苦難があり、それを打開していくには勇気がいります。自分一人だけで立ち向かっていくのは、とても不安な気持ちになります。しかし、「勇気を出しなさい」とイエスは言われます。私たちは一人ではありません。イエスは「あなたがたがわたしによって平和を得るためである」と言われます。それは、イエスにしっかりと目を向けることにより、イエスによって平安が与えられ、どのような状況の中にあっても、恐れずに不安を抑えていく勇気が私たちに与えられるのだということです。
「わたしは既に世に勝っている」とイエスは言われます。すでに世に勝っているということは、この世での勝ち負けではなく、イエスが十字架への苦難の道に勝利したということであります。十字架の勝利は、戦争のように力ずくで相手を打ち負かして勝利するものではありません。世の罪に対し、イエスが十字架に掛かることによってその罪を赦し、救いと平安を与えた十字架の勝利であります。勇気を出すということは、軍人が命を惜しまずに戦う勇気とは違い、真理を求める勇気です。迫害が厳しい状況の中にあっても、恐れずに不安を抑えて十字架に勝利したイエスに従っていく勇気のことです。そして、私たちの不安や苦悩等、すべてのことを神にお任せして委ねることができる勇気です。
聖学院は今年120周年を迎えました。今もこれからも、様々な不安や苦しみのある時代のなかで私たちは生きていきます。私たちは一人ではなく、いつも神が共にいてくださることの恵を確信して、失敗を恐れずに、新しいことへ飛び込む勇気、そして絶えず神の平和、真理を求めていく勇気を持ち続けていきましょう。
祈り
「父なる神様。私たちは、様々な不安や苦悩をかかえて過ごしています。困難な状況に直面して打ちひしがれてしまうこともあります。また多くの情報の中に埋没してしまい、自分を見失ってしまうこともあります。どうか主よ、私たちはイエスが共にいて一人ではないことを信じ、また神の愛を信じ、何が真理であるかを見極める勇気をお与えください。今日の私たちの一日が主の御手のうちにありますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」