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9月29日(金)全学礼拝―神吉乃三巳職員(賛美歌BGM付)

2023.09.29
文書礼拝

奨励者:神吉乃三巳(キリスト教センター事務室職員)

新約聖書:ヨハネによる福音書 第12章24節(新共同訳)P.192

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」

奨励:もう一群の先人達も覚えながら

 

 

 私たちの聖学院は今年で創立120周年を迎えます。大学ではパイプオルガンの建造が進められ、美しい音色と共に、その礎となったプロテスタントキリスト教ディサイプルス派の宣教師やそれに続く人々の歩みを、尊敬と感謝をもって振り返る時を待っています。

 伝道者として見ず知らずの外国に渡り、140年前の明治時代の日本において、様々な苦難の時を乗り越えて布教を行うという、その自身の命をも賭した労苦を厭わない先人達の精神と行動力が無ければ、当然この聖学院の存在は無かったことでしょう。その方々の覚悟と行動、そして生き様に、私達は非常に多くの恩恵を受けており、その存在の大きさと尊さは計り知れません。

 

 伝道者や命を懸けて信仰と共に生きた先人達の生き様とその恩恵を振り返るうえで、私はいつも、もう一群の先人達の存在も、畏敬と感謝の念を持って同時に思い起こす幸いを、以前にいただく機会がありましたので、少しその方々のお話しをさせていただきたいと思います。

 それは、時代は遡りますが「隠れキリシタン」と呼ばれる方々で、皆さんもその存在については聞いたことがあるかと思います。

 日本では戦国時代にカトリックのキリスト教の布教が始まり、その信者は一時期には全国で約30万人はいたのではないかと言われています。しかし豊臣秀吉や徳川家康によって布教が禁止され迫害が始まり、急速にその数は減少していきました。「隠れキリシタン」は、迫害が始まった後も信仰を捨てずに日本各地に潜伏していった人々で、発見されて壮絶な死を遂げた殉教者も数多くいたことをご存知の方も多いと思います。

 ではなぜその人々から私達が直接恩恵を受けていると思うのかというと、江戸時代の初期に始まった関東平野の河川の治水や水田の開発事業には、その方々の存在が深く関わっていたという説があるからです。

 

 一冊の本があります。医学博士で郷土の歴史研究家の川島恂二氏による『関東平野の隠れキリシタン』という本で、ご自身の眼科医院の長年の患者達から託されたキリシタンの遺物や関係者への聞き取り、自らの足で集めた膨大な資料をもとに、関東にも数多く存在したと考えられるキリシタンに関して綴った1,700ページ以上にも及ぶ大作です。

 その本によると、江戸時代の初め、徳川家康から関東郡代(代官頭:関東の幕府直轄地を支配する役職)として関東地方の開発事業を任された伊奈忠次は、その関東平野の治水工事や水田開発に、当時迫害によって日本の各地から逃れてきた潜伏キリシタンの集団を労働力として使ったというのです。そしてそれらのキリシタンの中には旧豊臣側の武士集団も多く、奴隷同然の過酷な労働にも耐えながら各事業に統率力と行動力をもって臨み、多くの目覚ましい成果をあげたことから、代々の伊奈氏の関東郡代もその存在を重用し、幕府も開発事業の間は、その存在を黙認していたというのです。

 また、初代関東郡代の伊奈忠次が居を構えた場所は、この聖学院大学近くの現在の伊奈町にあたり、その近隣地域や埼玉県の各地にも、キリシタンの人々が存在したという痕跡が、様々な形で残っているということです。「隠れキリシタン」は当時、その信仰ゆえに国を追われ、自らその存在を隠さなくてはならなかったことから、公には自分たちの記録や文書などをほとんど残しませんでした。しかし、周りにその存在を秘して奴隷同然の労役にあたりながらも、誇りを持ってその生き様を貫くために、石像や墓標に自分たちだけがわかる暗号(隠符)を模様や記号、隠し文字などで残し、自分たちが生きた証と信仰の証を、天に向けて永遠に証明しようとしたというのです。

 

 私が聖学院大学で働き始めた2001年当時、幼児洗礼を授かったクリスチャンでありながら、普段はミサ(礼拝)にも年に数えるほどしか行くことがなかった私は、自分の家族の死や、直前まで留学していたニューヨークでの「9.11同時多発テロ」という、それまでの世界の価値観を一変させた出来事で大学時代の友人も亡くすことなどを経て、人の生き様やその死について考える機会が多くなっていました。

 そんな折、偶然なのでしょうか、教会を通じてこの本と出合い、魂を揺さぶられる思いを経験しました。当時の私は「隠れキリシタン」という存在は知ってはいましたが、教科書などからの知識しか持ち合わせずに、それは「島原の乱」に代表されるような九州などの日本の西方に居た人々のことだと考えていました。

 しかし、その存在が自分の住む関東に、それもすぐ近くにあって、江戸時代の初期に関東平野の輪郭を築き、その存在と働きが現在の関東の繁栄の礎になったのではないかということを知り、大きな衝撃を受けたと同時にとても誇りに思え、その存在が一気に身近なものになったのを覚えています。

 

 本日の聖書箇所において、イエス・キリストは十字架に向かうご自身の運命を受け入れつつ、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」とお語りになります。その御言葉の中で、多くの実を結ぶためにご自身が死ぬ運命にあることが示されますが、私なりに「死」という言葉を違う言い方にすると、「最後まで生ききる」ということになるのではないかと考えています。私たち一人ひとりが、どのような状況の下にあろうと、自身の運命を受け入れながら最後まで真摯に、そして精一杯に生ききることによって、その後の死は生きた証として多くの実を結び、その結果が人々の為になっていくと言えるのではないでしょうか。

 私たちはまた、その時々に経験する様々な苦労や辛い経験、悲しい経験、理不尽な経験などの意味や理由の全てを知ることは出来ません。しかし、「すべてのわざには時があり」(伝道の書3:1-11. 口語訳聖書)、その私たちが経験する全ての事柄には、神さまの御業が働いていて、そこには必ず意味があり、永遠に繋がる希望と美しさがあると信じることで、私たちは、自分自身に与えられた運命を真摯に、そして精一杯に生ききることはできるのではないでしょうか。

 私にとって、聖学院の存在の礎となった先人達や、沈黙を守りながらも関東平野を開発した「隠れキリシタン」の人々のように、誇りを持って自らの運命を全力で生ききること。その尊い生き様こそ、これらの聖書の御言葉を体現していると思えてならないのです。私たちもいつか、少しでもそのような生き方が出来るようになれたら嬉しいですね。

 

 私の場合、本日皆さんにご紹介したこの本との出合い以来いつも、その関東にも居たと言われる「隠れキリシタン」の方々の存在は自分の心の中の何処かにあり、古い石像や墓石などを見ると、最後まで全力でその運命を生ききった方々の痕跡を探している自分がいるのです。

 

 

祈り

「御在天の父なる神様、御名を賛美いたします。 主よ、現在、世界全体が様々な苦難と忍耐の時を経験している中、聖学院は今年、法人の創立120周年、ディサイプルス派の日本宣教140周年、そしてパイプオルガンの建造の時を迎え、その礎となられた先人達のそれまでの歩みを感謝と共に振り返る時にあります。どうか私達一人一人がこころをあわせ、この記念の時を迎えられるようお導きくださり、あなたの豊かな恵みをお与えください。また、関東地方の成り立ちとその後の繫栄のために、命をかけて人知れず多大な労苦を払ったと言われる隠れキリシタンの方々の存在を覚えます。どうかその方々の魂が今は主と共にあり、その秘められた存在と生き様から、私達が多くを学び得ることができるようにお導きください。このつたなき小さな祈りを、感謝と共に、主イエスキリストの御名によって御前にお捧げします。アーメン。」