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9月28日(木)全学礼拝―鈴木光先生(賛美歌BGM付)
奨励者:鈴木光(日本キリスト教団勝田教会牧師・本学講師)
旧約聖書:箴言 第15章33節(新共同訳)P.1011
「主を畏れることは諭しと知恵。
名誉に先立つのは謙遜。」
奨励:名誉に先立つのは謙遜
『箴言』は信仰に基づく知恵の言葉の数々が記されています。私たちの人生に直結する、ドキッとする言葉が多くて目をひきます。
今日の聖書の言葉もごく短いですが、示唆に富んでいます。
「主を畏れることは諭しと知恵。名誉に先立つのは謙遜」
私は謙遜とは程遠い人間です(かなり傲慢なタイプだと自分で思います)ので、謙遜な人に憧れています。もともとの性格もあるのでしょうけど、どうしたらもっと謙遜になれるだろうかと考えていた時に、二人の聖書の登場人物に出会いました。
一人目はモーセです。民数記12章3節というところに、そのものずばり「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」と書かれています。この個所から興味をもって、一時期モーセの生涯を聖書からたどって読んでみました。
エジプト脱出のリーダーとして大活躍のモーセですが、確かに読んでみると自分からそれをやりたいとグイグイいっているわけではありません。しかし、まわりは勝手なもので不満があるとすぐモーセを責めます。それでもモーセは忍耐強く神様と民とに仕え続けるのです。彼から学ぶのは、「忍耐して仕えるリーダー」の姿でしょう。名誉に先立つのは謙遜、とはまことに言葉どおりです。
もう一人、今度は新約聖書で最も謙遜なのは、言うまでもなくイエス・キリストでしょう。
神様が人間になって地上に来られた方ですから、世界史上でも文句なしに最もへりくだったのがイエス様です。しかも、ただ人間になっただけではなく、私たちのために十字架にかかられて罪の罰の身代わりとなりました。本来、最も尊ばれるべきものが、最も低い姿になりました。そして、その行動のゆえに私たちに救いが訪れたのです。
名誉に先立つのは謙遜、イエス様の姿も実にそのことを証ししています。
イエス様やモーセの姿に倣うとき、私たちは確かに「謙遜」を学ぶことができます。また、学ぶだけでなく、それを身につける秘訣も今日の聖書の言葉には書かれています。すなわち「主を畏れること」、言い換えれば神様の前に自分を置くことです。
私たちが自分を見る時に、人と比べれば高慢になるか卑屈になるかのどちらかです。しかし、創造主である神様の前に立つ自分の姿を見るならば、小さく、しかし愛されている尊い存在として、確かに謙遜を得られるのだと思います。
祈り
「ハレルヤ! 愛する神様。聖書を読む時、そこに出てくる人々の姿から謙遜を教えてください。また祈る時、あなたの前に立つ自分の姿から謙遜であることを身につけさせてください。本当の名誉にいたる謙遜を与えてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」