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7月28日(金)全学礼拝―相川徳孝先生(賛美歌BGM付)

2023.07.28
文書礼拝

奨励者 :相川徳孝(子ども教育学科特任教授)

新約聖書:ルカによる福音書 第10章25~37節(新共同訳)P.126

「すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」」

奨励:生き方を学ぶ

 

 

 母が天に召されて久しく時が過ぎました。

新型コロナ感染が5類感染症となり平常な生活に戻りつつある中、中断されていた社会福祉法人の複数の保育所での研修が再開されました。研修のため保育所を訪問しいろいろな年齢の子ども達の生活の様子を見ていると母親が子ども達とどのように関わっていたのかを思い出すことが多くなりました。母親は私が通っていた保育所の園長から声を掛けられ保育士として仕事をするようになりました。

当時、教会に隣接しているその保育所では地域の障害のある子ども達を積極的に受け入れていました。母が担当していたクラスにも2人の障害のある子どもが在籍するようになりました。そのため母は他の保育士と共に保育後障害を理解するために研修に参加し、家庭に帰ってからも記録をまとめたりしていました。それだけではなく、保護者の方から「保育所に入れない障害のある子どもの居場所を考えてほしい」と相談され、子ども会を立ち上げたり、親同士が話ができるようにと「親の会」を創設したりと保育だけではなく、その時に求められていることは何かを常に考え行動する人でした。地域の障害のある子どもを教会学校に誘い、日曜日の朝はその子ども達を迎えに行きながら教会で1日を過ごし、休みなく活動している姿を傍観していましたが、ある日母から「夏休みに障害のある子ども達もキャンプに連れていきたいから教会学校を手伝ってほしい」と言われました。そこで私も請われるまま小学校以来久しく行っていなかった教会に再度行くようになりました。

教会学校での母の姿はいままでどちらかと言うと家庭もあまり顧みず何をしているのかと批判的に見ていたのですが、子ども達から慕われている様子から母のこのような働きがとても意味のあることのように感じ、それ以降は自分のできる範囲のことをしようと思うようになりました。

 ここで聖書に目を留めてみたいと思います。

今回取り上げたのは「よきサマリア人」のたとえであり、みなさんもよく知っている箇所かと思います。イエスは、今助けを必要としている人が隣人であることを私たちに示しています。そして、自分が、助けを必要とする状況にあったら、どうして欲しいか、それを考えて、自分の前で助けを必要としている人に、自分のできる限りのことをすることが、「隣人を自分のように愛する」ことに繋がるのです。私はこのことを聖書とともに母の生き方から学びました。

今、自分の置かれている場で「子ども達のために」仕える人でありたいと切に願っています。

 

 

祈り

「在天の父なる神様 わたしたちに一人一人異なる賜物を与えて下さっていること感謝します。あなたからいただいているものを隣人のために活かし、共に支え合って日々過ごすことができますように。これから夏休みに入ります。この期間、私たちの心と身体を支えて下さり、秋に再会できますように日々お守りください。主のみ名によって祈ります。アーメン。」