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7月26日(水)全学礼拝―村瀬天出夫先生(賛美歌BGM付)

2023.07.26
文書礼拝

奨励者:村瀬天出夫(欧米文化学科准教授)

旧約聖書:申命記 第7章6~8節(新共同訳)P.292

「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」

奨励:神さまの宝物

 

 

 本日の聖書箇所は旧約聖書の申命記(しんめいき)です。「申命」という言葉は、聞き慣れない言葉ですが、辞典によると「申」は「重ねる」、「再びする」の意をもっています。そして「命」は「命令」、「律法」を表します。ですから「申命」は「繰り返し命じる」、神の命令である「律法」の「反復」を意味します。

 皆さんは、モーセという預言者・指導者の名前を耳にしたことがありますか? 映画にもなった「十戒」を知っている人もいることでしょう。

 モーセは、エジプトの地で奴隷の状態にあった同胞イスラエルの民を導きだすように神から命じられ、長い年月をかけての「出エジプト」を導きました。

 そして、イスラエルの民がヨルダン川を渡って約束の地(カナン)に入る直前に、モーセがイスラエルの人々に語った説教がこの申命記です。

 神の命令がモーセによって再度告げられたという意味から「申命記」と名付けられました。

 さて、皆さんには何か「宝物」がありますか? 宝物は、持っているととても幸せで嬉しい、それが無くなると悲しく寂しいものと言えるでしょう。

 小さい時の自分の写真や家族写真、ボロボロになるほど読んだ絵本、ポケモンカード(トレーディングカード)、その他いろいろあることでしょう。私の5歳の息子は、外で拾ったきれいな色・形の石や破片を「たからもの」と呼んでいます。

 神さまにも大事な「宝物」があると、本日の聖書箇所に書かれています。

 「主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。(7章6節の後半)」とあります。神さまが私たちを「ご自分の宝の民」としてくださった。つまり神さまが「あなたたちは私の宝物だよ」と言ってくださっているのです。

 神さまの宝物は、私たちなのです。

 神さまにとって私たちが大事な宝物だということがどこでわかるのでしょうか?

 「神は独り子(ひとりご)を世にお遣(つか)わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償(つぐな)ういけにえとして、御子(みこ)をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの第1の手紙4:9〜10)

 神さまは独り子イエスを私たちのためにこの世に送ってくださいました。そしてイエス様は私たちの代わりに十字架にかかって死んでくださることによって、私たちの罪を赦し、私たちを神の子どもとしてくださいました。

 独り子の命を与えてくださるほどに私たちを愛してくださっているのです。私たちは神さまにとって大事な大事な宝物なのです。

 神の選びは不思議ですね。本日の聖書箇所の申命記7章7節には、「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。」と書かれています。

 私たちが神さまの宝物であるのは、私たちが立派だからでも、優れているからでもありません。愛される価値のない、いつも神さまに逆らっているような私たちのことを神さまは何故か愛して大事に思ってくださっているのです。神さまが私たちを「選んで下さった」のです。

 私たちが聖学院大学で学び、今こうして礼拝に参加しているのも、神さまが私たちを多くの人々の中から選んでくださって、宝物としてくださっていることのあらわれと言えるのだと思います。

 私たちの日々の生活は楽しいことばかりではありません。幼いころと違い、成長するにつれ、その年齢年代によって様々な悩み・つらさ・悲しさに直面することがあるでしょう。意気消沈したり、打ちひしがれたり、心身とも弱ることもあるでしょう。

 しかし私たちは神さまの宝物とされているのですから、神さまが私たちを見放す・見捨てることは決してありません。

 「神は私たちを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださる。」という使徒パウロの言葉があります。

 神さまの宝物とされている私たちは、どのような状況にあっても神さまから常に守られ平安をあたえられているのです。このことを深く覚え、感謝いたしましょう。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる神さま、春学期も終わりに近づいています。ここまであなたの御守りのなかで過ごせたことを感謝いたします。まだコロナ禍から完全に抜けきったわけではありませんが、学生生活が徐々に正常化していることをうれしく思います。学びの時、サークル活動、そして聖学院大学だからこその礼拝のひとときをこれからも大事にしていくことができますように導いていってください。感謝と祈り、主イエス・キリストの御名によってお捧げします。アーメン。」