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7月20日(木)全学礼拝―乾元美先生(賛美歌BGM付)
奨励者:乾元美(日本キリスト教団宮崎中部教会牧師)
旧約聖書:イザヤ書 第43章4節(新共同訳)P.1130
「わたしの目にあなたは価(あたい)高く、貴く
わたしはあなたを愛し
あなたの身代わりとして人を与え
国々をあなたの魂の代わりとする。」
奨励:わたしの目にあなたは値高く、貴い
神さまは言われます。「わたしの目にあなたは値高く、貴い」。
わたしの目。神さまの目です。神さまの目には、わたしたち一人一人が、値高い、貴い存在です。そして神さまは、「わたしはあなたを愛している」とはっきり告げられます。
わたしたちは普段、わたしの価値を定めようとする、色々な目に見つめられています。他人の目。学校の目。社会の目。わたしという人間を評価しようとする目です。
評価が良ければ、わたしたちは自分の価値が認められた気持ちになり、喜んだり、誇りに思ったり、得意になったりします。だから良い評価を得るために、大変な努力もします。でも、努力をしても望む評価が得られないこともあります。そうするとわたしたちは、深く傷つき、自信を失い、自分が消えて無くなってしまうような思いになることもあるのです。
そんな時には、自分の存在価値やその意味について考えることがあるかも知れません。でも、他人の価値観による評価や、社会の評価を、自分という存在の価値を決める答えとして受け止めてはいけません。
わたしの価値は、誰が決め、誰が認めるか。それは、わたしたちをお造りになった神さまです。神さまだけが、わたしの価値をお決めになることが出来ます。
そして聖書の御言葉によれば、神さまはあなたを「値高く、貴い」と言い切っておられます。
しかもそれは、わたしが何かを成し遂げたから、役に立つから、優れているから、価値があるというのではありません。わたしたちは、神さまに造られ、神さまに生かされているから、価値があるのです。神さまの御前に存在しているわたしそのものが、神さまにとって、とてつもなく価値があるのです。
この神さまのわたしを見つめる眼差しは、わたしが失敗をしても、何かを達成できなくても、さらには、神さまに対して罪を犯したとしても、変わることはありません。神さまはそれでわたしのことを無価値だと思われるのではなく、むしろそのようなわたしを導き、救い出そうとなさるのです。
そのために神さまは、「あなたの身代わりとして人を与え/国々をあなたの魂の代わりとする」とまで言われます。
そして、わたしたちは聖書を通して、このわたしを救うために、このわたしの身代わりとして、神さまは、ご自分の御子イエスさまの命さえも惜しまず与えて下さったのだ、と教えられているのです。
神の御子。それはどう考えても、無力で、弱くて、神さまに背いてしまうようなわたしに釣り合わない、高価すぎる身代わりです。でも、神さまの目に、わたしはそれほどの価値があり、それほど貴い存在として、映っているのです。
この神さまの目が、いつもわたしを見つめていてくださる。この神さまが、いつもわたしの味方でいてくださる。そのことを知っているなら、わたしたちは、失敗することや、成し遂げられないことや、努力が報われないこと、失ってしまうことがあったとしても、他人や社会から認められないことがあったとしても、決して自分の価値を見失うことはありません。
「わたしの目にあなたは値高く、貴い」と言ってくださる神さまが、いつも共にいて下さり、色々な荒波や試練に押し流されないようわたしを守ってくださり、わたしに最もふさわしい道へと、必ず導いてくださるからです。
祈り
「天の父なる神さま あなたはいつも、わたしたちのことを愛の眼差しで見つめて下さり、「値高く、貴い」と言って下さいます。その愛は、御子イエスさまをわたしの身代わりとして与えて下さるほどです。どうか、この神さまの眼差しを信じることが出来ますように。 毎日の中で、人生の中で、わたしたちには色々と思い通りにならないことや困難なことがあります。でも、そのことによって自分を見失うことがありませんように。そして、神さまに心から愛されてここにある自分を、ちゃんと大切にすることが出来ますように。そして、様々なことを乗り越える力も、忍耐も、勇気も、神さまが与えてください。このお祈りを主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。」