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7月12日(水)全学礼拝ー塚本良樹先生(賛美歌GBM付)
奨励者::塚本良樹(キリスト者学生会〈KGK〉副総主事、本学講師)
旧約聖書:詩編 第46編(新共同訳)P.880
「指揮者に合わせて。コラの子の詩。アラモト調。歌。
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、沸き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも。
大河とその流れは、神の都に喜びを与える
いと高き神のいます聖所に。
神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。
夜明けとともに、神は助けをお与えになる。
すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。
神が御声を出されると、地は溶け去る。
万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。
主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。
主はこの地を圧倒される。
地の果てまで、戦いを断ち
弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。
『力を捨てよ、知れ
わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる。」
万軍の主はわたしたちと共にいます。
ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。」
奨励:わたしたちは決して恐れない
聖書において、神はよく「場所」にたとえられます。本日の箇所において、神は「わたしたちの避け所」(避難所)であると言われています。避難所は、危険があるときに、あるいは住む家がないときに逃げ込む場所です。苦難のとき、「そこ」に逃げ込むならば、つまり神に頼るならば助けられる。だから、「わたしたちは決して恐れない」と歌われています。
みなさんは、苦しみに遭ったことがあるでしょうか。この世界には苦しみがあります。そして、苦しみが存在するという現実に、聖書は真正面から向き合っています。本日の箇所には、自然災害、政治的な混乱、戦争の情景が描かれています。もちろん、そのような大規模な、大勢の人に影響をもたらす苦しみだけが苦しみではありません。もっと日常的な、個人的な苦しみもあります。
それにもかかわらず、なぜイスラエルは、教会は、「わたしたちは決して恐れない」と歌うことができたのでしょうか。旧約聖書を読むときに分かることは、イスラエルという国は何度も神を裏切り続けてきたということです。読んでいておもしろくなるほどです。それでも、神はイスラエルを愛し、諦めることなく、助け続けました。だからこそ、これからも、何が起ころうとも、私たちは恐れる必要がないのだ、と歌うことができるのです。
さらに、この詩の5節には、「大河」が流れる「神の都」が描かれています。興味深いことに、聖書のなかで「神の都」と呼ばれるエルサレムに大きな川はありません。だからこそ、これはエデンの園、そして終わりの日にイエスがもう一度この世界に来るときに完成する「新しい都エルサレム」のことを指しているのではないかと言われます。
聖書は、この世界の終わりには、必ずハッピーエンドが待っていると約束しています。それまでも、私たちの人生で起こることに意味があるということは、クリスチャンは知っています。もちろん、その意味が具体的に何かということは分からないことばかりです。しかし、イエスがもう一度やって来る時には、全ての出来事の意味が分かり、納得が与えられるのです。その希望を信じるゆえに、恐れる必要がないのです。
この詩は、11節の「力を捨てよ、知れ」という神の招きをもって、幕を閉じます。神はあなたにも語られています。どんな困難が、苦しみがあっても、私があなたを永遠に守る。だから、知って欲しい。誰があなたの神であるかということを。
神を知ることのできる場所、それが礼拝です。礼拝に集うとき、私たちは肩の力を抜いて、神がどのような方であるのかを知ることができます。何度忘れても、知り直すことができます。
あなたを愛し、あなたとともにいて、永遠まで導く方。それが、聖書が語る神なのです。だから、恐れる必要はないのです。この神の招きにあなたはどう応えるでしょうか。
祈り
「天の父なる神様。この奨励を読んでくださったお一人おひとりに、あなたからの祝福が、救いがありますようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」