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6月28日(水)全学礼拝―野村春文先生(賛美歌BGM付)

2023.06.28
文書礼拝

奨励者:野村春文(子ども教育学科特任講師)

新約聖書:マタイによる福音 第5章43~48節(新共同訳)P.8

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

奨励:敵を愛しなさい

 

 

 今日の聖書の箇所の最初に「『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている」とあります。レビ記19・18には、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」とありますが、「敵を憎め」という言葉は旧約聖書の中には見られないようです。隣人を愛することについて、イエス様は弟子たちに様々な場面で話していますが、この箇所では、隣人ではなく「敵を愛し」と言っています。さらに「自分を迫害する人のために祈りなさい」と続けています。実際にイエス様は十字架にはりつけにされたとき、「父よ彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカによる福音23・34)と言っています。 

 敵という強い言葉に一瞬驚きます。敵とは何でしょうか。敵に対する者として、ここでは、自分を愛してくれる人や自分の兄弟とあります。今の私にとっての『敵』とは、私に対して悪意やよくない感情を持っている存在と考えます。相手もたぶんそのような感情を持っていることでしょう。しかし、『敵』という強い言葉で表現するような存在ではないのかもしれません。『敵』という存在の人にも大切な人がいます。そして、その『敵』を大切にしている人がまわりにいることでしょう。その人を通して神さまが伝えていることもあるかもしれません。ある一面だけを見ている自分がいます。『敵』をつくってしまった自分自身、人をゆるせない自分自身に落ち込むこともあります。その感情を取り除けない自分に気がつくことで『敵』ではなくなるように思います。そのように気づかせてくださる神さまがいると感じることがあります。

 神さまは、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」とあるように、神さまの恵みは、すべての人に注がれています。弱い私たち、いつも正しいことをしているとはいえない私たちを愛し、守ってくださっています。私たちが何もしなくても神さまは私たちの幸せのためにはたらいてくださっています。

 「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」とマタイによる福音書にありますが、ルカによる福音書では「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(6・36)とあります。常に憐れみ深くあるのはとても難しいことです。自分を省み、親切にしたり、大切にしたりすることができるように、神さまに助けていただけるように祈りましょう。私だけでは無理です。神さま、あなたがお望みならば乗り越える力をお与えください。

 

 

祈り

「すべての人の父である神さま、あなたに仕える民である私たちの歩みを支えてください。憎しみではなく、相手を大切にする心をすべての人におあたえください。互いに理解を深め、支え合って、困難を乗り越えることができますように。人々や国々の間に続く争いを早くおわることができるように導いてください。互いに相手を尊び、敬う心をもって、真の平和を築いていくことができますように。わたしたちも自らの思いと行いを省み、隣人愛に生きる道を歩むことができますように。神の愛にならう心を人々におあたえください。弱い立場の人が顧みられ、多様な人々が受け入れられる社会にしていくことができますように。私たちの主イエス・キリストによって。アーメン。」