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6月22日(木)全学礼拝―小林信人先生(賛美歌BGM付)
奨励者:小林信人(日本キリスト教団高輪教会牧師)
旧約聖書:創世記 第1章26~31節(新共同訳)P.2
「神は言われた。
『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。』
神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
神は彼らを祝福して言われた。
『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』
神は言われた。
『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』
そのようになった。神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」
奨励:極めて良い私たち
聖書は、人間は神さまに創造されたものだと記しています。このことを現代の私たちがどう受け止めるか、受け止めないか、人それぞれだと思いますが、まず聖書はこう書いているという事を受け止めていただきたいと思います。私は進化論を否定はしません。聖学院と関係の深い日本基督教団という宗教団体も、進化論を否定してはおりません。不思議なことかもしれませんが、教会の多くの人々は、進化論を否定せず、聖書が言う人間が神さまによって創造されたという事を同時に受け止めています。
人間が創造されたのは6日目だったと聖書は語ります。つまり、その前に5日間があるという事です。5日間は何が起きていたか、そこでは神さまが天地動植物、人間以外の全てのものを創造されたことが記されています。聖書は、人間がまだ存在していない5日間の事をなぜか語り得ています。見た者が存在していないのに、なぜ記録することができるのか。突っ込みどころ満載な聖書です。しかし、それが聖書です。聖書は、理科の教科書ではなく、信仰の書物です。世界や人間がどうやってできたのか、それを科学的に証明することが聖書の目的ではありません。
簡単に言うと、簡単すぎるかもしれませんが、聖書は神さまが人間を創造されたと書くことによって、人間の存在の背後には神さまがおられるという事を言うのです。注目すべきは、神さまは私たち人間をどういうものだとお考えになっておられるかという事です。神さまは、人間の創造以前の5日間で天地動植物を創造されるのですが、一日一日が終わるたびに、ご自身が創造されたものをご覧になって「良し」と仰っています。同様に、神さまは人間を創造し終えた後、人間を含め創造された全てのものをご覧になって「極めて良い」とお考えになったと聖書は語ります。そうです。私たち人間は「極めて良いもの」なのです。私たち自身は、私たちの事を「極めて良かった」とはなかなか思えないことの方が多いかもしれませんし、他人からも「あなたは極めて良いですね」とはなかなか言われない者です。自分の足らなさや弱さに絶望することもあるかもしれません。しかし、そんなときは思い出してください。私たちは神さまに「極めて良い」とされている存在だという事を。良くない人は存在しません。何があっても私たちは「極めて良いもの」です。私も、隣にいるあの人も、気の合わないあいつも。皆「極めて良いもの」なのです。
祈り
「天の父なる神さま、私たちの日常に伴ってくださり感謝いたします。また、あなたが私たちを極めて良いものとして創造してくださり、心から感謝いたします。どんな時も、何があっても、私たちが良いものであるという聖書の言葉によって喜びをもって日々を過ごすことができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。」