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6月15日(木)全学礼拝―木村太郎先生(賛美歌BGM付)

2023.06.15
文書礼拝

奨励者:木村太郎(心理福祉学部兼人間福祉学部チャプレン)

新約聖書:使徒言行録 第20章35節(新共同訳)P.255

「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」

奨励:受けるよりは与える方が幸いである

 

 

 主イエス・キリストは、「受けるよりは与える方が幸いである」と語られました。この言葉は、キリストの生涯について書かれた四つの福音書の中に見つけることはできませんけれども、恐らく、「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカによる福音書6章31節)との言葉に通じるものがあります。いずれにしても、今日の聖書の箇所においては、パウロというキリスト教の大伝道者が、その言葉を「いつも身をもって示してきました」と書いています。

 ところで、「情けは人の為ならず」という諺があります。これは、「情をかけておけば,それがめぐりめぐってまた自分にもよい報いが来る。人に親切にしておけば必ずよい報いがある」(『日本国語大辞典』第2版)という意味です。キリストの言葉と似ているように思います。しかし、よく考えてみると、これは隣り人に対して情や親切心をもって接することの奨めではなく、自分自身に返ってくるであろう具体的な報いに強調点があるように思えます。この諺を全否定することはできませんけれども、与えることは得であると言われているようで、どこか自己中心的です。

 それでは、「受けるよりは与える方が幸いである」とのキリストの言葉はどうでしょうか。実はこの言葉も、同じように理解できてしまいます。与えることを通して自分自身に誇りが持てますし、良い人間になったように感じます。そしてまた、与えることは感謝や賞賛を求めることと表裏一体です。勿論、それ自体を悪いと断定できませんけれども、諺のようにどこか自己中心的に思えてしまいます。

 しかし、キリストの言葉の意図は、そのようなこととは異なります。確かにこの言葉は、与えることの幸いを知ることへと促しています。そして、パウロが言うように、そのことを「身をもって示」すことの大切さを教えます。にもかかわらず、この言葉は、神によって創造された人間の存在について伝えています。それは、わたしたち一人ひとりには、隣り人に与えるだけのものがもう既にあるということです。わたしたちの内に何もなければ、何も与えることはできません。つまり、「受けるよりは与える方が幸いである」ということなど成立しないのです。

 自らを振り返り、また周りを見渡し、自分自身には何もないなどと嘆くことはないのです。神によって命の息を吹き入れられ、生きる者となったわたしたちには、隣り人と分かち合うことができるものが与えられているのです。それは、具体的には人それぞれ違うことでしょう。このキリストの言葉は、わたしたち一人ひとりに与えられている賜物(タレント)に気づかせることへと導く言葉でもあるのです。

 

 

祈り

「天の父なる神よ、春学期も折り返しが過ぎました。あなたは、わたしたちの学びと大学生活における喜びと楽しみ、また、苦労と悩みの一つひとつをご存知です。残りの期間も、心静める時としての礼拝を通して、あなたがいつも共にいてくださり、支え、励ましてくださる方であることを知らせてください。この祈りを、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」