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6月16日(金)全学礼拝ー帆苅基生先生(賛美歌BGM付)

2023.06.16
文書礼拝

奨励者:帆苅基生(弘前大学教員、本学講師)

新約聖書:マタイによる福音書 第26章6~13節(新共同訳)P.52

「さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。『なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。』 イエスはこれを知って言われた。『なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。』」

奨励:思いの外に思いをはせる

 

 

 世の中の状況が少しずつ変わっていって、対面で人と会うことも徐々に増えてきたのではないかと思います。

 人と会って話をしていると、話が面白いなと思う人に共通点があることに気がつきました。それは関わっている人や、触れている物事が多いということです。

 しかしそれは単に数量的な多い少ないではありません。どちらかというと種類やバリエーションの多さといえるのかもしれません。その人が関わっているグループやコミュニティが複数あり、そして様々なことに関心を持っていると、自ずと種類やバリエーションが増えいるのだと思います。

 話していて魅力的だなと思う人は、物事の関心の幅があり、出会う人や出来事に対して、一つ一つ丁寧に向き合っているからこそ、その人自身の内面の世界も広がっているのだと思いました。

 さて今回の聖書箇所はイエス・キリストへの献身として紹介されることが多いところです。しかし改めて読み直してみると、この場にいた他の弟子たちの姿とイエス・キリストの言葉が気になりました。

 というのも弟子たちは何人もいたはずなのに、誰一人この女性の行為を擁護せず、イエス・キリスト一人だけがこの出来事の本質を見抜いていたからです。

 昔から「三人寄れば文殊の知恵」と言いますが、同じような発想に凝り固まっている人が集まっただけでは、大切なことを見逃してしまうのかもしれません。私たちが思っていることの外側(想定外)に実は大切なことがあることもあるのかもしれない、そんなことを考えさせられました。

 「色々」や「十人十色」など、多様性や個性を「色」で表した表現は数多くあります。しかし時に私たちは「色々」「十色」と言いながら、「青」「水色」「紺」「群青」と同系色だけを集め、自分の居心地の良い「色々」に安住してしまうことがあるのではないでしょうか。また「朱に交われば赤く染まる」のように同じような色に染まることで居心地の良さを感じることもあります。もちろん同系色の差に個性を見出すことや、同じ色で一致することも重要かもしれません。けれども一つに偏ることない多様な「色」を取り込むことで鮮やかな世界を描けるのではないかとも思うのです。

 イエス・キリストはまさに我々には想定外のところにある物事の本質を注視する方なのだと思います。視野を狭くして、自分たちだけの道理で物事を捉えることをせずに、目の前の出来事や出会う人にしっかりと向き合うことで、私たちの世界は開かれて、気づきもしなかった鮮やかさに出会うことが出来るのではないでしょうか。

 

 

祈り

「天におられます私たちの神様、御名をあがめます。どうか私たちが自分の狭い世界に閉じこもることなく、出会う人や物事に一つ一つ、丁寧に向き合うことができますように励ましてください。そしてイエス・キリストのように本当に大切な物事の本質に目を向けることができますように導いてください。このお祈りを、愛する主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げします。アーメン。」