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6月27日(火)全学礼拝―村上純子先生(賛美歌BGM付)
奨励者:村上純子(心理福祉学科教授)
旧約聖書:詩編 第121編1~8節(新共同訳)P.968
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。
どうか、主があなたを助けて
足がよろめかないようにし
まどろむことなく見守ってくださるように。
見よ、イスラエルを見守る方は
まどろむことなく、眠ることもない。
主はあなたを見守る方
あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。
昼、太陽はあなたを撃つことがなく
夜、月もあなたを撃つことがない。
主がすべての災いを遠ざけて
あなたを見守り
あなたの魂を見守ってくださるように。
あなたの出で立つのも帰るのも
主が見守ってくださるように。
今も、そしてとこしえに。」
奨励:私の助け
これは、私の好きな賛美歌301番の歌詞のもととなっている聖書個所です。オンライン礼拝のため、皆さんと一緒にチャペルで歌うことができないのはとても残念です。
ピンチの時、誰かが飛んできて自分を救ってくれたら、と思ったことはありませんか? 私はよくそう思っていました。信仰があれば、神様がスーパーヒーローのように飛んできて、問題をズバッと解決してくれる!そんな風に思ったこともあります。でも実際のところ、そんなことはありません。信仰を持っていても持っていなくてもそれはみんな同じです。
でもちょっとだけ違うことがあります。それは、神様はものすごい奇跡を起こして私を助け出してくださる、ということはありませんが、私のことは知っていて、ちゃんと私に必要な助けはどこからともなく与えてくださるのだとわかっていることです。その時にはわからないことがほとんどです。でも後から見てみると、「あ、神様があの人と出会わせてくださった」とか、「やっぱりあの出来事の後ろには神様がいたんだなぁ」と思うことが良くあります。
神様を信じないと思う人からすれば、そんなのは偶然だし、こじつけだと思うかもしれません。でも私はこじつけでもいいと思っています。神様はちゃんと私のことを見守ってくださっている、私が一人では立ち向かえないような困難でも、神様が一緒に立ち向かってくださっている、と考えるだけで、ちょっとだけがんばってみようかなという勇気が与えられるからです。
祈り
「神様、あなたが私たちとともにいることを私たちが知ることができますように。もし私たちが自分一人では乗り越えられないと思うことがあった時は、あなたが一緒に立ち向かってくださるお方だということを思い出し、勇気を持つことができるように助けてください。主イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。」