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6月2日(金)全学礼拝―石井佑二先生(賛美歌BGM付)

2023.06.02
文書礼拝

奨励者:石井佑二(日本キリスト教団遠州教会牧師)

新約聖書:マタイによる福音書 第6章25~34節(新共同訳)P.10

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

奨励:もう十分だ

 

 

 私たちは、すぐ「足りないもの」を数えます。「もっと頑張れ」「まだまだいける」。自分の内から、外から、そんな声が響きます。しかしその声は行き過ぎると、自分のことも他人のことも、「あれが足りない」「これが駄目だ」という「粗探し」ヘと変わって行きます。そんなことしたくないのに、そこから抜け出せない。そうして心がすり減ってしまう。思い悩みに、押し潰されてしまいます。

 そんな生き方から新しくなりたい。その為にはどうすれば良いのでしょう。その秘訣が、今日の聖書に書かれています。

 マタイによる福音書6章25~34節。主イエスは大勢の群衆に、何度も「思い悩むな」と言われます。そして34節の後半で言う「その日の苦労は、その日だけで十分である」。この言葉は新約聖書の元々の言葉のギリシア語から、日本語に上手く翻訳するのが難しい言葉です。主イエスの思いが良く伝わるように直訳すると、こうなります。

 「十分だ。それで。あなたの負うべき、その日の苦労は。」

 主イエスは群衆に、そして私たちに言うのです。「もう十分だ」。私はあなたたちが本当に頑張って生きていることを知っている。だから「もう十分だ」。それ以上、自分や他人の「足りないもの」を数えなくて良い。

 主イエスがこう言われる根拠、それは32節後半以下「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。世界を正しく御支配してくださる神は、あなたに今、何が必要であるか良く分かっておられ、それを今、あなたに与えてくれている。この主なる神の恵みを知るならば、「足りないもの」ばかりを数えてしまう「思い悩み」から解き放たれる。「あなたたちには既に、神から素晴らしい恵みの力を与えられている。そのことに心を向けてみなさい。その真実を、あなたと共にいる私が語り示そう」。そう主イエスは言われるのです。

 聖書は繰り返し、「主なる神があなたと共にいる」と言います。主イエスは、その真実を語るために、神の子であるのに、神の御座を捨て、人間として生まれてくださりました。そして人間の痛み、罪をその身に負って、私たちの身代りに十字架で死んでくださった。そのことを信じる者は、もう「足りないもの」を数えるのではなく、既に与えられている「恵みを数える」者とされます。「十分だ。それで。あなたの負うべき、その日の苦労は」。この慰めの神の声を、今、あなたと共にいる、主イエスが語っておられます。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる御神。あなたから既に与えられている恵みを忘れ、「足りないもの」を数えることに熱心になり、自分も、他人も貶める、弱い、罪の私たちです。しかし主よ、あなた御自身が、私たちに与えられている恵みを教えてくださります。その御声を、確かに聴き取らせてください。「足りないもの」を数えるのではなく、「恵みを数える」者として、喜んで、今を生きられますように。主の御名によって、祈り、願います。アーメン。」