お知らせ

お知らせ詳細

Information Detail

5月18日(木)全学礼拝—渡辺善忠先生(賛美歌BGM付)

2023.05.18
文書礼拝

奨励者:渡辺善忠(日本キリスト教団巣鴨教会牧師・本学講師)

新約聖書:ルカによる福音書 第19章1~10節(新共同訳)P.146

「イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。』ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。』イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。』」

奨励:ザアカイが木から降りる時

 

 

 ルカ福音書には、主イエスがザアカイという人を救いへ招かれた出来事が物語のように生き生きと伝えられています。ザアカイは徴税人の頭でした。この時代の徴税人はイスラエルの税金とイスラエルを支配していたローマ帝国の税金を集めていました。イスラエルの人々は二重の税金に苦しんでいたため、徴税人の頭は嫌われていました。

 すぐ前の18章には、エリコの近くで主イエスが病気を癒したと伝えられており、病気の癒しを含めて、主イエスのことは広く知られていました。このためザアカイはイエスがどんな人か見ようとしました。ザアカイは背が低く、群衆に遮られて主イエスを見ることができなかったため、走って先回りし、いちじく桑の木に登りました。

 ザアカイの姿は私たちに身近な意味があります。なぜなら、ザアカイが主イエスをどんな人か見ようとした姿は、キリスト教に興味を持つことに通じるからです。ザアカイが主イエスを見ようとしたように、私たちも様々なきっかけでキリスト教の学校や教会へ導かれることがあります。

 私たちがキリスト教の学校や教会へ導かれることは、「ぜひあなたの家に泊まりたい」(5節)という主イエスのお言葉に示されています。なぜなら「泊まる」という御言葉は、ルカ福音書では「教会に連なる」という意味があり、「あなたの家に泊まりたい」という主イエスのお言葉には、ザアカイが教会へ招かれた意味であるからです。

 この出来事を見ていた人々は皆、ザアカイのことを罪深いと思っていました(7節)。しかしザアカイは主イエスの招きに応えて生き方を変えました。ザアカイは自分の財産の半分を貧しい人々に施すと言いました。この時代には、お金をごまかした罪は元のお金に2割加えて償うことが決められていましたが、ザアカイは「だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言いました。

 主イエスの招きに応えて生き方を変えたザアカイに、主イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」とおっしゃいました。「今日、救いがこの家を訪れた」というお言葉には神が私たち一人一人を救いへ招いておられる恵みが示されています。この恵みに感謝して、主イエスの招きに応える歩みへ導かれるように祈り合いたいと思います。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる神様。主イエスに出会ったザアカイが、主イエスの招きのお言葉に応えて、木から降りて生き方を変えたように、あなたの招きに応える歩みへ導いて下さい。聖学院での学びを通して、お一人お一人があなたの御心に適った道へ導かれますように、聖書の御言葉と聖霊によって私たちを守り導いて下さい。感謝と願いを主イエス・キリストの御名によってお祈り致します。アーメン。」