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4月26日(水)全学礼拝—東野尚志先生(賛美歌BGM付)

2023.04.26
文書礼拝

奨励者:東野尚志(日本キリスト教団滝野川教会牧師、本学講師)

新約聖書:マタイによる福音書 第7章7~12節(新共同訳)P.11

「『求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。』」

奨励:あきらめない愛

 

 

 大学の学びは、高校までと大きく違うところがあります。高校までは、メニューがある程度決められていて、選択の余地が少なかったのに対して、大学では自由度が増す分、学生の主体的な取り組みが求められます。中学までは給食、高校は回転寿司、大学はビュッフェスタイルというところでしょうか。与えられるのを待っていると、時間を無駄にすることになります。自分から行動を起こすことが大事なのです。

 

 イエスさまは言われます。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」。もとの言葉の意味をはっきり訳せば、「求め続けなさい」ということになります。求め続けなさい、探し続けなさい、門をたたき続けなさい、途中であきらめるな、と主は言われます。どうして、あきらめずに求め続けることができるのかといえば、私たちが、求め、探し、門をたたくのに応えて、必要なものをすべて与えてくださる方がおられるからです。

 

 主イエスは言われます。「あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」。親は、自分の子に対して、良い物を与えようと願っているのです。ましてや、私たちの天の父である神さまは、求める者に必ず良い物をくださる。主はそう言われます。あきらめや無関心というのは、神さまの言葉ではありません。神さまに逆らうサタンが、私たちの間に植え付けようとしている言葉です。

 

 ある人が言いました。「愛の反対は、憎しみではない。愛の反対は、無関心だ」。相手に対して関心を抱き、その人のことを、どこまでもあきらめない。それが、本当の愛です。天の父である神さまは、そのように私たちを愛してくださり、私たちのことを決してあきらめずに、どこまでも深く関わろうとしてくださいます。私たちを絶望の中から救い出すために、ついには、大切な独り子であるイエスさまを、私たちのもとに送ってくださったのです。

 

 「だから」と、主は言われます。「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」。これと似た言葉を、皆さんも聞かされてきたと思います。「人からされていやなことは人にするな」。いじめを止めさせるためにも、よく言われます。もちろん、これも大事です。でも、人にいやなことをしてしまわないためには、なるべく人と関わりをもたない。人を傷つけない代わりに、自分も傷つかないようにする。そんなふうに人と距離をおいて、孤立していくことになるのではないかと思います。

 

 主イエスは、それを裏返すようにして言われました。人からされたらいやなことを人にしない、というだけではなくて、むしろ、人からしてほしいこと、人からしてもらったら嬉しいことを、人にしてあげなさい。そうやって積極的に人と関わりをもち、つながることを求めるのです。神さまご自身が、イエスさまを通して、私たちとしっかりつながってくださいます。神さまのあきらめない愛に支えられながら、私たちも、お互いのつながりを大切にし、支え合っていくことができるようにと願います。

 

 

祈り

「天の父なる神さま。コロナのために、人とのつながりが断ち切られるような不安な時を過ごしました。改めて、共に学ぶお互いのことを覚え合い、支え合う、交わりと絆を強めていくことができますように。大学での学びの日々を豊かに祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」