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4月27日(木)全学礼拝—吉岡光人先生(賛美歌BGM付)

2023.04.27
文書礼拝

奨励者:吉岡光人(日本キリスト教団吉祥寺教会牧師、本学講師)

新約聖書:ローマの信徒への手紙 第8章31~39節(新共同訳)P.285

「では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。

「わたしたちは、あなたのために

 一日中死にさらされ、

 屠られる羊のように見られている」

と書いてあるとおりです。しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」

奨励:主われを愛す

 

 

 使徒パウロは、かつてキリスト教徒を厳しく迫害していました。イエスをメシアと信じる人々を許せなかったのです。ところがそのパウロがキリストを信じるようになってからは、律法の行いによって救われると信じていた信仰を捨て、イエスをメシア(=キリスト)と信じるようになったのです。そして今度は命がけで福音を世界中に伝える、イエスがキリストであるということを伝える働きをするようになりました。

 パウロは、かつての仲間からは「裏切者」扱いされ、何度も命を狙われそうになりました。病気にもかかりました。船が難破して死にそうにもなりました。しかし彼は逃げも隠れもせず、ひたすらに福音を世界に伝えました。何故そんなことができたのでしょうか。それは「主に愛されている」ことを疑わなかったからです。どんなものも自分を愛してくれている神の愛から自分を引き離すことはできないと確信していたのです。

 愛というものは信じるべきものです。実証するものではありません。自分が愛されているかどうか確かめる必要はないのです。パウロはキリストを信じる以前は、神に愛されようと思って一生懸命神の戒めを守っていました。しかし彼は心のどこかで神の愛を確信できませんでした。「自分は神に呪われているのではないか」と思う時もありました。しかしイエス・キリストを知ってからは、疑いは一切消え、死の危険に晒されるような時でも、「わたしは神に愛されている」と信じ続けることができるようになったのです。

 「主われを愛す」という昔から親しまれている賛美歌があります。原題はJesus loves me です。英語圏の教会ではよく子どもたちが歌う賛美歌として知られています。カール・バルトというスイス人の世界的に有名な神学者がいました。その彼がアメリカに訪れた時、彼の講演を聞くために大勢の人が集まりました。難しい神学の講演が終わった後、一人の人が手を挙げて彼に質問したそうです。「あなたの神学を一言で言うと何でしょう」と。するとバルトは少し考えてから「そうですね。あなたたちの国によく知られた賛美歌があるでしょう。Jesus loves me, this I know, for the Bible tells me so. それに尽きます!」すると会場にいた人たちがどっと笑ったというのです。人々が笑った理由は、子どもたちが口ずさむ賛美歌で、とても平易な内容の詩だったからです。しかしその後会場にいた人々は深く納得したそうです。「主われを愛す」それに尽きるのです。「神に愛されている」、その単純なことを知ることが、実は人にとって決定的に大切なことなのです。

 

 

祈り

「神さま、わたしたち一人一人にあなたが無条件の愛を降り注いでくださっていることを感謝します。聖学院大学に集う一人一人があなたの愛に応えて、学びを続けることができますように。アーメン。」