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4月28日(金)全学礼拝—高橋恵一郎先生(賛美歌BGM付)

2023.04.28
文書礼拝

奨励者:高橋恵一郎(女子聖学院中学校高等学校チャプレン)

新約聖書:マルコによる福音書 第16章1~8節(新共同訳)P.97

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」

奨励:ガリラヤで待っておられる主

 

 

 キリスト教の中核にあるものは何か。それはキリストの復活です。

 主イエスが十字架により罪とその結果の死を滅ぼされ、蘇(よみがえ)り、信じるものの初穂となられた、と聖書は語ります。この復活という出来事を歴史的出来事、事実として受け止めるのがキリスト教です。人間の思いを超えた神のみ業の上に、キリスト教は成り立っているのです。そこに希望があります。

 

 ここには3人の婦人が描かれています。彼女らは墓におさめられた主イエスのご遺体に油を塗るために墓に向かっていました。しかし、行く途中で墓の石を開けてくれる人を依頼していなかったことに気づきましたが、墓まで行ってみると「石はすでにわきに転がしてあった」のでした。

 婦人たちは不思議に思いながら、墓の中に入ると、そこには白い長い衣を着た若者(主のみ使い)がいて、彼女らに復活を告げ、さらに言われたのでした。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と」。

 ガリラヤは弟子たちにとっての故郷です。彼らのもとの生活の場です。すべてを失った弟子たちが、再び新たな生活を始めるとすれば、やはりガリラヤであったことでしょう。主はそこで待っておられる、とみ使いは告げたのでした。

 

 新年度に入り一ヵ月ほどが過ぎようとしています。主イエスはガリラヤ、弟子たちの生活の場で待っておられるとみ使いは語りました。弟子たちだけでなく、私たちにも同じように語りかけているように思います。あなたがたも、それぞれの生活の場で待っておられる主イエスに出会いに行きなさい、主イエスはあなたと会おうとしている、と。

 新年度といっても私たちの多くは、生活の場がどこかに移ったり、人間関係が全く変わるのではありません。同じ生活の場に私たちはい続けています。しかし、そここそが私たちのガリラヤであり、蘇(よみがえ)られた主は私たちを待っておられ、お会いしてくださる、と今日の箇所は私たちに語りかけているのではないでしょうか。

 弟子たちは自分たちの生活の場で蘇(よみがえ)られた主と出会い、そこから主と共にある新しい歩みをはじめました。私たちも蘇(よみがえ)られた主が、それぞれの生活の場で出会ってくださり、共にいてくださることを信じ、喜ぼうではありませんか。神の愛を信じて、新年度の歩みを続けようではありませんか。それぞれの今年度の歩みの上に神様の祝福が注がれますようお祈りいたします。

 

 

祈り

「神様、御名をたたえます。あなたは私たちの導き手です。あなたが用意してくださっている恵みの世界の中に私たちが歩むことができますよう、お導きください。主イエス・キリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン。」