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4月20日(木)全学礼拝—古谷野亘先生(賛美歌BGM付)

2023.04.20
文書礼拝

奨励者:古谷野亘(心理福祉学科特任教授)

新約聖書:ヨハネによる福音書 第20章19~21節(新共同訳)P.210   

「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』」

奨励:新しい衣

 

 

 春学期の授業が始まってからちょうど10日が経ちました。大学の春学期は、たいてい復活祭の期節に始まります。今年は4月9日が復活祭でしたから、春学期はまさに復活祭に始まったことになります。

 復活祭はイエス・キリストの復活を祝うキリスト教の祝祭で、「春分の日の直後の満月の後の最初の日曜日」と決められています。ずいぶんヘンな決め方ですが、決められたのは今から1700年も前のことですから、当時としては最先端の決め方であったのかもしれません。

 復活祭にはいろいろな習慣があります。白いユリの花を飾ったり、色を付けたタマゴ(イースター・エッグ)を作ったり、野原や公園でタマゴ探しをしたりといった習慣です。新しい服を着るという習慣もあります。お金に余裕のある人はスーツやドレスを新調し、余裕のない人は新しい下着や靴下を身につけます。この習慣は、2000年近く前の初代教会の時代に、復活祭の礼拝で洗礼を受けて教会のメンバーに加わった人に、新しい白い衣を着せ、「白い衣を受けなさい。あなたは新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい」言ったことに由来します。

 新しい服を身につけるのは気持ちのよいものです。単に気持ちがよいだけではなく、何か新しくされたように感じることもあります。復活祭に新しい服を着るという習慣は、心を新たにして、新しい人生を始めようとする決意をも表しています。

 今日の聖書の箇所は、イエス・キリストが十字架で処刑され、復活した直後の物語です。弟子たちは自分もイエスと同じ目に遭うのではないかと恐れ、扉に鍵をかけて隠れていました。そこに復活したイエスが現れたのです。イエスは、「お前たちなぜ逃げた」と責めたりはせずに、「シャローム(あなたがたに平和があるように)」と平和の挨拶をしてくれます。不安と恐怖、自責の念に捕らえられ、絶望の渕に沈んでいた弟子たちが、飛び上がるほど驚き、かつ喜んだであろうことは十分に想像できます。恐れおののき、縮(ちぢ)こまっていた弟子たちは、このときから急に勇敢になって、イエスは復活した、イエスは神の子・キリストだと宣伝して回るようになります。2000年の歴史を刻むキリスト教が生まれた、その瞬間の出来事です。弟子たちは、この時に新しくされたのです。

 復活祭のシーズンに新しい学年・新しい学期が始まるのは、意味深いことであるように思えます。それは、ある意味では偶然でしかないのですが、失意と絶望の渕に沈んでいた弟子たちが立ち上がったように、私たちも新たにされ、新しい学年の学びと生活に一歩を踏みだすようにと促され、勇気づけられているように感じられるからです。復活祭に始まったこの学年、この学期が、恵みに満ちた実り豊かなものとなるよう祈ります。

 

 

祈り

「恵みのもとである主なる神様、新しい学年を迎えた私たちがあなたに支えられ、あなたの恵みによって生かされていることを悟らせてください。そして、心を新たに、あなたを頼りに、日々の小さな歩みを進めることができるよう励まし、支えてください。救い主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン。」