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12月22日(木)全学礼拝―堀江知己先生(賛美歌BGM付)

2022.12.22
オンライン礼拝

奨励者:堀江知己先生(日本キリスト教団前橋中部教会牧師)

新約聖書:使徒言行録 第8章26~39節(新共同訳)P.228

「さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。すると、“霊”がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。彼が朗読していた聖書の個所はこれである。

「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。

毛を刈る者の前で黙している小羊のように、

口を開かない。

卑しめられて、その裁きも行われなかった。

だれが、その子孫について語れるだろう。

彼の命は地上から取り去られるからだ。」

宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。」

奨励:ひとりきりのクリスマス?

 

 

 クリスマスの時期に孤独を強く感じる人もいるのではないでしょうか? それは、クリスマス(特にクリスマスイヴ)を一人で迎えるとなると、家庭を持つ人たちや、一緒に過ごす彼氏彼女がいる人たちとのギャップが目立つからなのかもしれません。キリスト信者にとっては、クリスマスの意味合いは大きく変わっています。クリスマスは救い主のご誕生を祝い、教会に集って賛美する時です。ですがそうは言うものの、クリスマスは一年で最も厳かな祝祭であるには間違いなく、それだけにクリスマス礼拝が終わった後、家で一人過ごさなければならないとしたら、孤独を普段より感じることもありえます。私は独身時代、イヴ礼拝の奉仕が終わった夜九時前、雪がチラチラ舞う中、夕食を買いに近くのスーパーに行くと、ケーキどころか弁当もすっかり売り切れとなっており、店内では閉店を知らせるメロディー「蛍の光り」が流れていました。ところで、洗礼式はクリスマス礼拝においてなされることが多いですが、私もクリスマスに洗礼式を受けた際に、皆からお祝いされ、祝会も開かれ、プレゼントもいただきました。しかし、その時学生であった私は一人暮らしであったため、教会を出た後、早くも一人になりました。「僕に彼女がいれば、あるいはせめて家族が出迎えてくれれば違ったのだろうか・・・」とつい思ってしまったものです。聖書において洗礼がなされる場面と言えばエチオピアの宦官の話です。この名もなき宦官が洗礼を受けた場所は「寂しい道」(26)であり、周りには人がいなかったのではないか? しかも洗礼を受けた直後、洗礼を授けてくれたフィリポの姿がどこにも見当たらなかったのです。完全に一人取り残された宦官は、「誰もいないじゃないか、祝ってくれる人が! 私は孤独なまま? 洗礼を授けてくれた教師さえ祝ってくれないなんて!」といった心境だったのか? いえ、彼は喜びに溢れて旅を続けたのでした。羊のように屠り場に引かれ、命を落としてくださった救い主が自分と共にいてくださる――この喜びを味わうことができるならば、一年毎に巡って来るクリスマスはもちろん、一生に一度の晴れ舞台である洗礼式を終えた直後であっても、一人でいることが何でありましょう! といいますか、一人ではありません、インマヌエル(神共にいます)が一緒にいてくださるのですから。世にご誕生なさった救い主は、孤独を乗り越えさせ、その不安を吹き飛ばしてくださるお方です。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる神様。あなたはわたしたちにあらゆる苦しみを忘れさせ、それを乗り越えさせてくれる救い主を与えてくださいました。このクリスマスの季節が、すべての人が不安を勇気に変え、寂しさを喜びへと変えられるときでありますように。主イエス・キリストの御名を通して、アーメン。」