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10月25日(火)全学礼拝―塚本良樹先生(賛美歌BGM付)
奨励者:塚本良樹(キリスト者学生会副総主事・本学講師)
旧約聖書:エレミヤ書 第29章11節(新共同訳)P.1230
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
奨励:「最悪なときに思い出して欲しいこと」
本日の箇所は、「バビロン捕囚」という、非常に苦しい状況のなかにあったイスラエルの民に向けて、エレミヤという預言者が書いた手紙の一部です。このとき、イスラエルの人々は、バビロン帝国との戦争に敗れ、バビロンに連れて行かれていました。なぜそんなことになったのか。それはイスラエルの民が、神様に向かって罪を犯したからです。
彼らは、自分たちの失敗ゆえに、すべてを失い、バビロンに連れて行かれました。悔しかったでしょう。自分たちに失望していたことでしょう。あるいは、神への失望もあったことでしょう。神様、なぜですか。そりゃあ、私たちも悪かったかもしれない。でも、ここまでひどい状況に置かなくてもいいんじゃないですか?何度も「助けてください」って祈ったのに、どうして何もしてくれなかったんですか?どうせ神様なんて…。私たちも、日常のなかで失敗して、その結果起こったことについて、自分に、あるいは神に失望することがあると思います。
そのような状況のなかにあるイスラエルの民に、神がエレミヤを通して語られたのです。あなたたちの目の前には「わざわい」しか見えないかもしれない。しかし、わたしは、長い時間をかけて、それを良いものに変える。あなたたちは、平安を与える計画のなかに、将来と希望を与える計画のなかに入れられている。
どういうことでしょうか。旧約聖書全体にわたって、イスラエルの民がずっと陥ってきた罪、それは「偶像崇拝」という罪です。自分たちを救った神ではなく、別の神を拝むという裏切り行為です。旧約聖書を読むとき、逆に面白くなるほど、イスラエルの民は、何度悔い改めても、同じ罪に陥っています。どうして変わることができないのか、と思わされます。しかし、バビロン捕囚という大きな苦難のなかで、イスラエルの民から、偶像崇拝が消えます。もちろん、引き続き別の問題はあるのですが、彼らをずっと支配していた一つの問題が解決するのです。
私たちも人生のなかで、最悪だ、と思わざるを得ない経験をします。特に、それが自分の失敗のせいであれば、自分に失望したり、神に失望したりしてしまうでしょう。しかし、聖書が語る神は、そのような出来事を通してすら、良いものを生み出すことができるのです。
今、苦しみのただなかにある場合、それがどう良いものになるのかということは分からないことの方が多いでしょう。イスラエルの民も、このときは分からなかったのです。それでも、神は、彼らを、平安を与える計画のなかに、将来と希望を与える計画のなかに入れているから、それに信頼するよう招いています。そして神は、今あなたにも、同じように語られています。あなたは、その招きにどのように応えるでしょうか。
祈り
「天の父なる神様。この奨励を読んでくださったお一人おひとりに、あなたからの祝福が、救いがありますようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」