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10月19日(水)全学礼拝―田中かおる先生(賛美歌BGM付)

2022.10.19
オンライン礼拝

奨励者:田中かおる(日本キリスト教団安行教会牧師、本学講師)

新約聖書:ルカによる福音書 第15章8~10節(新共同訳)P.138~P139

「あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」

奨励:「失われたものの回復」

 

 

[1]みなさんは、無くしたものが見つかった!という経験をしたことがありますか?無くしたものが、とうとう出てこなかった!ということを経験したこともあると思います。そういう時は、本当に意気消沈してしまいますね。でも、無くしたものがやっと見つかった!という時にはどうでしょう?重要な物が見当たらなくて、必死に探して、やっと見つかった時の気持ちって、なんともいえないものがありますね。

[2]私もある時、とても大事な書類を、確かにここにおいておいたはず、と思うところに無くて、大変な思いをしました。必死で探したのですが見つからず、その間中、他のことが手につきませんでした。…翌朝、もう一度、初めからやり直して、探してみました。すると、どうでしょう?昨日、あんなに、何回もみたはずの書類の間から、探していた物がでてきたのです!…その時のうれしかったこと、ほっとした気持ちは、忘れられません。思わず、家族に「アッタ、アッタ」と叫んでしまいました。失った物(無くした物)が見つかるとは、こんな気持ちなのか…と思わされました。今日の聖書の箇所の女性の気持ちがとてもよくわかったように思います。

[3]今日の聖書の箇所は、「見失った羊」の譬えに続く話です。 「見失った羊」の譬えは、100匹のうち1匹がいなくなって、その1匹を羊飼いが捜し当ててくれた話です。今度は、10枚の銀貨の内、1枚が無くなった話です。この女性は、ドラクメ銀貨を10枚持っていましたが、そのうちの1枚がなくなってしまったので、必死に探した、というのです。10ドラクメは、当時の10日分の賃金で、決して大きな金額ではありませんが、しかし、この女性にとっては、とても大事な銀貨だったのです。この女性が、どんなに銀貨を捜し出すことに熱心だったか…ともし火をつけて、あちこち物を動かし、片付けながら、たった1枚の銀貨であっても念入りに捜している様子は、大事な書類を必死で捜していた私の姿と全く、同じです。見つけるまで心が落ち着かない、女性の心境がよく分かります。そして、やっと見つけた時、思わず、回りの人々に「無くしたものを見つけましたから、一緒に喜んでください」と叫んでしまう、その気持ちもよくわかります。あるはずの物が、失われて、しかし、持ち主がそれを見つけた時、それは、周りの人と一緒に喜ばないではいられないほど嬉しい…そういう喜びの気持ちが私のささやかな体験と重なり、この女性の気持ちが良く分かりました。ここでの鍵となる言葉は「無くした(失う)」「見つける」「一緒に喜ぶ」「悔い改める」「喜び」です。無くした物が銀貨であって、生き物ではないのですが、失われたものが見いだされて本来の場所にもどる、ということが、「悔い改める」ということの譬えとして語られています。 悔い改めるとは、罪を悔い改めることであり、方向転換する、ということです。銀貨が、自分で方向転換したわけではありませんが、無くしたものが見いだされた、ということが、本来のあるべき方向あるべき場所に戻った、という意味で譬えられています。しかも、自分で戻れたのではなくて、捜してくれる人がおり、そして、見いだされた、というのです。更に、捜し出した人は、失ったものが、本来あるべきところに戻ったことを、こんなにも喜んでいる…これは、私達のことも見放さずに、とことん捜し出してくださるお方(=神)がいる、という譬えです。

[4]この話を聞いて、皆さんは、どう思うでしょうか?羊や銀貨が「罪人」というのなら、私はそれにはあてはまらない…と思うでしょうか?この譬え話は、全て話の最後は、主イエスの言葉で終わっています。主イエスの語った言葉の鍵カッコのままで終わっています。この話を聞いていた人々が、どんな反応をしたか、とか、どうなったかは、書いてないのです。…それは話を聞いた(あるいは読んだ)あなたは、どう思うのか?あなたは、それでどうする?と言う問いかけがなされているのです。あなたのことを、こんなにも必死に探し出してくれる存在がいることを知ったら、あなたはどう思いますか?あなたはどうしますか?…という問いかけです。聖書は、常に「あなたは今、どこにいますか?あなたの心はどこに向いていますか?」という問いかけを発信しています。このコロナ禍にも、聖書は「あなたの心の向きはどこに向いていますか?」という問いかけと同時に「本来の居場所はここ、神のもとにある!」と語りかけています。神は「失われたものの回復」を心から待っておられる…それが聖書の告げていることです。

 

 

祈り

「主なる神、あなたは私達に「本来の居場所はここにある!」と告げてくださいます。「失われたものの回復」を心から待っておられる方です。あなたのもとでの「安心」を得て、日々の歩みを続けていくことができますように…  主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」