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10月21日(金)全学礼拝―鈴木光先生 (賛美歌BGM付)
奨励者:鈴木光(日本キリスト教団勝田教会牧師、本学講師)
新約聖書:コリントの信徒への手紙Ⅰ 第10章13節(新共同訳)P.312
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
奨励:「戦うもよし、逃げるもよし」
使徒パウロは、文字どおりの意味で命を脅かされる迫害や旅を数多く経験してきました。彼はコリントの信徒への手紙Ⅰ10章13節でこのように言います。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるように、逃れる道をも備えていてくださいます」
日本語では「逃げる」というと、どこかネガティブなニュアンスを感じます。ですが、神様は私たちが試練に遭うときに「逃れる道をも備えていて」くださる方です。何でもかんでも逃げてしまうのも良くありませんが、試練の乗り越えかたも「ただただじっと我慢」とか「自分の力で」ということを聖書は語っていません。いろいろなケースがあるのです。戦うもよし、逃げるもよしです。大切なのは試練のさなかに神様と向き合うことができるかどうかです。
「我慢」は「自分(我)が高慢になる」と書きます。あくまで自分の力に頼るものです。我慢して試練を通り抜けた人は自分の力を誇ります。そしてやがて他の人にも「我慢して乗り越えること」を求めるようになります。試練の中身も受け取り方も一人一人違うのに、「わたしは乗り越えたんだからあなたもできるはず」と言います。
「忍耐」は十字架のイエス様と共に耐え忍ぶことです。イエス様は十字架で死に至るまで苦しまれたかたです。あなたの苦しみや悩みを共に担って歩んでくださる方です。
試練の時、あなたの目が自分を向くのか、神様を向くのかに大きな違いがあります。
もう一つ混同しやすいものに「試練」と「誘惑」があります。試練と誘惑は違います。誘惑は神様から私たちを引き離そうとする悪魔の力です。一方で試練はそれをとおして神様との関係が深められるものです。試練の中で「主よ、助けてください」、「共にいてください」、「のり越えていく力を与えてください」と祈りましょう。また時に「神様なぜですか!? 助けてください!」と大いに叫びましょう。
今、自分は試練を通っているというかたは、どうぞ神様の前に進み出て祈ってみてください。その悩みや苦しみを神様の前に打ち明けて、それが神様のものになるまで心明かして祈ってみてください。
祈り
「ハレルヤ! 愛する神様、あなたがわたしたちと共にいてくださるかただと今日また知りました。今、置かれた状況の中で、あなたがわたしに必要な力や知恵、あるいは逃れる道を備えてください。イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。」