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10月14日(金)全学礼拝―大嶋重徳先生 (賛美歌BGM付)
奨励者:大嶋重徳(鳩ヶ谷福音自由教会牧師)
新約聖書:マルコによる福音書 第5章1~15節(新共同訳)P.69
「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。ところで、その辺りの山で豚の大群がえさをあさっていた。汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。彼らはイエスのところに来ると、レギオンに取りつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。」
奨励:「本当の自分」
マルコ福音書5章には、「レギオン」という汚れた霊に取り付かれ「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」という不思議な人が出てきます。イエス・キリストは「名は何というのか」と聞かれました。彼は「レギオン、大勢いるんです。」と答えました。自分は沢山いる…。私たちは彼のこういう気持ちが少し分かるように思うのです。自分もまた学校では学校用の顔、バイト用の顔、親の前では親が求める顔を持っています。自分がバラバラだ・・・と思うような大勢いる自分がいるでしょう。またゲラサに住む彼は墓場にいました。墓場はいくら叫んでも、自分のからだを傷つけたとしても、誰にも気がついてはもらえない場所です。誰にも知られない場所で抱えていた彼の暗闇。そこで声にならない声をあげていたのです。
すると悪霊は、イエス・キリストを恐れ「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と言います。イエス様がそれを許されると、2000匹ほどの豚の群れが湖になだれ込み、激しい水しぶきをあげて次々と溺れ死にました。この時、彼は自分の目の前で、自分の内側にあるものを目の前で見たのです。豚が湖に飛び込んでいく姿は、それはそのまま、墓場で自分の体を傷つけてきた自分の姿でした。
私たちも人前でいい格好を演じられたとしても、そうじゃない自分がいることを自分が一番よく知っています。自分の内側にある自分のずるさ、汚さ、自分の闇の生活。止めることが出来ない罪があります。イエス・キリストはそんな罪と闇の中で叫ぶ私の姿を見ていられないと、あの豚が湖に転がり落ちていくように十字架にかかられたのです。十字架こそ、「神を殺せ」と叫ぶ狂った人間の場所がありました。イエス・キリストは十字架でこう祈りました。「父よ、彼らを赦してください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」自分で何をしているのか分からない自分自身、自分で自分をコントロールできない自分。それはここにいる私たちです。
しかし私たちはこのキリストの「父よ、彼らを赦してください。」という祈りに生かされて、私たちは罪から赦され、私たちは生きることができるのです。本当のあなたの姿は、このキリストに愛されて生きる姿です。このイエス・キリストに赦され、生きていきませんか?
祈り
「主イエス・キリストの父なる神よ。キリストが私たちのために十字架にかかられたことを感謝します。お一人お一人が神に赦された本当の自分に出会うことが出来ますように。キリストのみ名によって祈ります。アーメン。」