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10月11日(火)全学礼拝―疋田義也先生 (賛美歌BGM付)

2022.10.11
オンライン礼拝

奨励者:疋田義也(日本キリスト教団本庄教会牧師)

新約聖書:マタイによる福音書 第6章11節(新共同訳)P.9

「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」

奨励:「生きる為の必要を満たしてくださる神様」

 

 

 キリスト教の礼拝の中では、「主の祈り」が祈られます。マタイによる福音書6章では、イエス様が弟子たちに「こう祈りなさい」と言って、神様への祈り方を教えられました。とても簡潔で、平易な言葉を使いながらも、信仰の大切な側面を捉えています。マタイによる福音書6章の9節から13節には、イエス様が主の祈りの言葉を弟子たちに伝えている様子が語られています。これは私たちが自由な言葉で神様に祈ることを決して制約するものではありませんが、どのように私たちが神様に祈れば良いか分からない時の、お祈りのひな形になります。

 

 そのお祈りの中心に、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」というイエス様の言葉があります。新約聖書は元々ギリシャ語で記されていましたので、この箇所の聖書の原語を見てみますと、「糧」は「アルトス」とあり、大麦や小麦等を原材料とする焼かれたパンのことを指しています。私たちの生命維持に欠かせない主食となるものです。そして、その糧を神様に与えて欲しいと願っているのです。ここでは、まず神様を信じることにおいて、私たちが謙虚であることが求められています。それと同時に、ここには私たちがこれからを生きていく上での希望も秘められています。

 

 私たちは誰もが、生まれてこの方、自分の力だけで自らを養い育てることはできず、誰かに育て養われてきました。それをどれほど今体感できているかは別としても、親や、周りの少なくとも一人以上の大人を通じて、見守られ、パン(必要な栄養)と併せて、愛情を注がれてきたのではないでしょうか。ですからパンだけではなく、周りの人との関係性の中で生かされてきたのです。誰も一人で生きることはできないのです。イエス様はこのことをよくご承知であり、この「必要な糧(パン)を今日与えてください」と祈るように教えておられながらも、別の聖書の箇所では「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4章4節)ともおっしゃっておられました。旧約聖書には「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し」(イザヤ書43章4節)ているとの神様の言葉がありますが、私たちは神様の口から出る、こうした慈しみの言葉によって、生かされているのです。ですから「必要な糧」の向こうには、私たちを愛して、糧を与えて生かしてくださる神様がいらっしゃるのです。

 

 しかし、私たち人間は罪という陰の側面を持ってしまい、必要不可欠な神様との関係性を無視して自らの欲望のままに、「必要な糧」を不必要に奪い合うようになってしまいました。神様との関係性を捨てて、自らの蓄える富や名声、経済的・軍事的な力によって自らを生かそうとする者もいれば、その争いの渦中で人々が苦しみ、命を奪われ、時には生きる希望が持てず自ら命を絶ってしまう状況も起きています。このように神様との関係性が破綻した危機的な状況にあって、私たちの存在を愛して養ってくださる神様との関係を修復するためにこそ、イエス様はご自身の命を十字架の上でおささげになってくださいました。イエス様はご自身のことを「わたしが命のパンである。」(ヨハネによる福音書6章35節)とおっしゃっておられます。ご自身の犠牲のもとに、イエス様は天上(神の国=天国)と混沌とした地上を結ぶ「命の糧」となってくださったのです。そして、私たちにはこの「命の糧」であり、生きる希望と力を、「今日(も)与えてください」と受け取るようにと教えてくださっているのです。私たちは、神様との生き生きと脈打つ関係性へと招かれているのです。

 

 最後に、この主の祈りの箇所は、「わたしたちに…糧を…与えてください」と主語が複数形になっています。主の祈りの箇所(マタイによる福音書6章9~13節)を読み返していただくと、12節以降では人間同士の関係についても触れて祈られています。特に、「自分に負い目のある人を赦」す(12節)ことや「誘惑にあわせ」ないでください(13節)、といった祈りは今日でも切実な課題として私たちに迫ってきます。お互いの存在を受け入れ合い、共に葛藤を担い合う中で、私たち自身も神様からいただく「命の糧」を周りの人と分け合う存在となるのです。またそのような場所として、神様は私たちを礼拝へと招いてくださっているのです。「二人または三人がわたしの名(イエス・キリスト)によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とイエス様は約束してくださっています。私たちの不安や葛藤にイエス様、そして礼拝の友が寄り添ってくださることに、生きる糧をいただきましょう。

 

 

祈り

「天の父なる神様。あなたは、私たちを愛し、日々私たちの必要を満たしてくださいます。私たちそれぞれの思いや志には限界があり、肉体的にも限界があります。時には、罪に支配され、神様の思いに背いて悲しませてしまうこともあります。しかし、あなたはそのような私たちをも受け入れて、私たちを救うためにイエス様を命の糧として私たちのもとに送ってくださいました。私たちが十字架の恵みを通して、神様の愛に満ちた命の糧をいただくときに、あなたは私たちの限界を超えて、私たちを生かしてくださいます。どうか今日を生きる為に必要な希望と力とを与えてください。また神様からの愛の糧を、周りの友と分かち合うことができますように、どうか私たちの歩みを導いてください。主イエス・キリストの貴きお名前によって祈ります。アーメン。」