お知らせ

お知らせ詳細

Information Detail

9月30日(金)全学礼拝 シリーズ礼拝 ー 聖書が語る平和 ー 小池茂子先生(賛美歌BGM付) 

2022.09.30
オンライン礼拝

奨励者:小池茂子(副学長・人文学部長・児童学科教授)

新約聖書:マタイによる福音書 第19章16~20節(新共同訳)P.37

「さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」 男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」 そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」

奨励:奨励:シリーズ礼拝 ― 聖書が語る平和 ―「金持ちの青年とイエス」

 

 

 今週は全学礼拝において「聖書が語る平和」という共通テーマが設定されています。一見、平和とは無関係に思えるかもしれませんが、本日は、よく知られている金持ちの青年と主イエスのやり取りについての記述を取り上げ考えてみたいと思います。

 この青年はイエスに「永遠の命を得る」にはどんな善いことをすればいいかと質問しました。主イエスはこの青年の問いに対して「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい』」と掟を守るよう返答すると、青年は「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」とさらにイエスに問いかけます。きっとこの青年は正しく生きようと律法の中心である十戒を忠実に守って生きてきたのでしょう。主イエスは「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(21節)と言われました。青年はこの言葉を聞き悲しみながら立ち去った、なぜなら青年は沢山の財産を持っておりそれを全部手放すことが出来なかったからだと聖書はいうのです。

 ここでイエスが語っているメッセージは、永遠の救いに預かるために自分の持っている全財産を差し出せということではありません(最近報道されている宗教団体のように、救いに預かるために、多額の献金を差し出せと迫っているのではありません。)

 ここでイエスは神様を信じ、神の前に正しく生きるということは自分の手に握りしめているこれまでの自分の生き方、あり様(この青年の場合は、神を信頼するというよりお金・財産を自らの拠り所としているという生き方)を変えようとしないで、自分に都合のよいように、自分に負荷がかからない方法で神に従おうとするのではダメだと説かれているのです。

 イエスは、永遠のいのちに預かるためには、神の前に自分の罪を告白し、それまで自分で作った自己本位な生き方を捨てて、謙遜な思いで神の教えに従うこと(神に信頼し、イエスの姿を手本に自らの生き方を整え、隣人への愛に生きること)こそが救いに預かれる道なのだと説きました。

 ここで小さなエピソードを紹介したいと思います。この夏、久々に故郷に帰り、姉弟、甥姪たちと会食する機会に恵まれました。その折に私の姉が息子と娘のお金の使い方に関する話をしてくれ、私はこの話に心を捉えられました。話の内容は、姉の長男は、部屋の中はいつもきちんと片付いており仕事やデート等も計画的に営んでいる。そんな彼は、自宅から通勤しながらも家に食費を一切入れることがなく、給料日や旅行に行っても家族のために土産一つ買ってきたりすることがない。自分の稼いだお金は全て自分のために使い、将来に蓄え、とてもシビアにお金を管理していて抜け目がない生活をしている。一方で娘(妹)の方は、部屋の中はぐちゃぐちゃで仕事も遅刻ぎりぎりに出勤しているような状況である。しかし、彼女は食費として月に3万円を親に手渡し、給料日や旅行に行ったときは必ず家族にお土産を買ってくる。姉は娘とのなにげない話から、彼女が月々1,500円をunicef(ユニセフ)のマンスリー・サポートメンバーとして献金していることを知ったというのです。20代半ばのまだ沢山の給料をもらっているとはいえない姪っこが、自分の意志で月々1,500円を世界中の子どもたちの救済活動を行っているユニセフのために捧げようと決め、それを継続していることに私は頭が下がる思いがいたしました。このような姪っ子の話に対して、兄の方は「自分の生活もおぼつかないのにバカじゃないのか…。」となじるような言葉を発していましたが、姉と私は彼女の姿は立派だと話し合いました。思えば、その姪っ子は中・高と6年間キリスト教主義の学校で学び、隣人のために痛みを分かち合う、隣人のために祈り何かを捧げるということを日々の教育の中で教えられ、自分なりに考えてきたのだと思います。

 かつてマザーテレサは「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく「無関心」なのだと説きました。平和を作り出すということは政治家が考えることで自分には関係ないと思われるかもしれません。しかし、だれからも顧みられないで困っている者、小さきもの、弱き者に関心を寄せ、自分が持っているよきものを差し出し自分にできることをする、無関心を脱することが「平和を作り出す」ことに繋がるのだろうと私は考えます。今回、イエスと金持ちの青年との問答を紹介しました。自分の中にある罪を認め、神に従い、隣人を自分のように愛しなさい、というイエスの問いにあなたはどう応えるでしょうか。今日からまたご一緒に考えて参りましょう。

 

 

祈り

「ご在天の父なる神さま。秋学期を迎え、今日も私たちを礼拝に預からせてくださいましたことを心より感謝いたします。どうか私たちをこの世の平和を作り出す器として育て、用いてください。隣人に仕える者となるために、必要な学びをこの聖学院大学で豊かに形づくることを得させてください。

この拙き願いと感謝を、尊き主イエス・キリストの御名によってお捧げいたします。アーメン。」