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9月29日(木)全学礼拝 シリーズ礼拝 ― 聖書が語る平和 ― 菊地順先生(賛美歌BGM付)

2022.09.29
オンライン礼拝

奨励者:菊地順(政治経済学科特任教授)

新約聖書:ローマの信徒への手紙 第5章1~2節(新共同訳)P.279

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」

奨励:奨励:シリーズ礼拝 ― 聖書が語る平和 ― 「神にある平和」

 

 

 今日の聖書個所で、パウロは、「わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得て」いると語っています。<神との間に平和を得ている>、この言葉は、聖書が語る平和についての最も重要な言葉の一つであると思います。<平和>と言うとき、わたしたちは、現実の世界や社会に目を向けて語ることが圧倒的に多いと思います。今は、何よりも、ウクライナへのロシアの侵攻がわたしたちの大きな関心です。そして、それとの関連で<平和>について考え、語ることが多いと思います。それは非常に大事なことですし、また自然なことです。しかし、一歩立ち止まって聖書に立ち返ったとき、そこにはもう一つ重要な世界があります。それは、神の支配する世界です。そして、そこでは、より根源的な平和、<神にある平和>が重視されています。

 ところで、旧約聖書は元々ヘブライ語で書かれていますが、ヘブライ語には<平和>を意味する言葉がいくつかあります。しかし、その中でも最も重要で、またよく知られているのが<シャローム>という言葉です。この言葉は「平和」という言葉だけでは訳せないはるかに多様な意味を持っています。というのも、<シャローム>の原義は、「満ちる」とか「補償する」とか「完成する」といった意味で、そこには<欠如した状態があるべき望ましい状態に回復すること>という意味があるからです。そのため、それは「救済」とか「健在」を意味し、より具体的には「無事」、「順調」、「平安」、「健康」、「長寿」、「繁栄」といったさまざまな言葉に訳されます。そして、それは、新約聖書の元々の言葉であるギリシャ語の<エイレーネー>(「平和」)という言葉にも反映しています。そのため、パウロが<神との間に平和を得ている>と語るとき、それは<あるべき望ましい状態に回復された>平和であって、その本質は「和解」であると言えます。イエス・キリストが人々の罪を荷って十字架につけられ、その死とよみがえりにおいて罪の赦し(ゆるし)となってくださったことによって、神と人間との間に和解がもたらされたと聖書は見ています。そして、その和解こそが、聖書が語る平和の基なのです。ですから、パウロは、わたしたちは、「わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得て」いると語るのです。

 わたしたちは、何よりもまず、この神との和解に立たなければならないと思います。そして、そこから、人々との和解、国々との和解へと進んで行かなければならないと思います。それは、自分自身の中で深く平和を抱くことができなければ、日常の生活においても平和を力強く求めて行くことはできないからです。そしてまた、神の平和に生きるときに、平和を求める力と勇気が与えられていくからです。そして、その力と勇気は、わたしたちの和解となってくださった、十字架につけられたイエス・キリストの姿を仰ぎ見るときに与えられていくのです。なぜなら、そこに、平和を追い求めてやまない義なる神の働きを見ることができるからです。そして、そこにこそ、現実の悲惨さにもかかわらず、わたしたちが見上げ続けることのできる希望があるのです。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる御神、夏の休暇の日々が守られ、秋学期を迎えることができましたことを、感謝いたします。ウクライナではまだまだ厳しい戦闘の状況が続いています。多くの悲しみと嘆きと絶望があります。しかし、わたしたちに、絶望することなく、悔い改めと勇気を持って平和を求めて行くことができますように、力と導きをお与えください。また秋学期も、それぞれのなすべき務めを十分になしていくことができますように、守りと励ましをお与えください。主イエス・キリストのみ名によって、お祈りいたします。アーメン。」