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7月21日(木)全学礼拝 (賛美歌BGM付)

2022.07.21
オンライン礼拝

奨励者:相川徳孝先生(児童学科特任教授)

新約聖書:ヨハネによる福音書 第15章1~10節(新共同訳)P.198

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。」

奨励:イエス様とつながる生き方

 

 

 幼稚園や保育園では毎年5月になると子ども達と夏野菜を育てるために種まきや苗の植え付けを行います。子ども達の中には植えただけで実がなると思っている子もいますが、毎日水をあげたりする作業を続けることで小さな変化に気づき、実がなることを心待ちするようになります。やっと収穫できる時期になる頃には自然の不思議さとともにその背後にいる見えざる神の存在を身近に感じるようになってきます。

 さて、今回の聖書箇所に目を留めてみたいと思います。ここではどうしたら私たち人間がイエス様につながり、花を咲かせ、実を結ぶことができるのか、ということを、イエス様自らがぶどうの木と枝のたとえを通して教えておられています。

 木の幹は地面に根を下ろし、水分や栄養分を吸い上げ、それぞれの枝に与えます。もし、枝が幹から切り離されたり、枝が木の幹につながっていなければ、花も実も結ばないことを私たちはよく分かっています。このような関係がイエス様と私たちの関係であると考えることができます。

 ここで覚えて頂きたい大切な言葉があります。それは「つながる」という言葉です。ぶどうがおいしい実をつけるには枝から離れてはできません。おいしい実をつけるためには、ぶどうのつる、枝につながっていなければなりません。「とどまる」も同じ言葉です。イエス・キリストにつながる、とどまっていることが大事なのです。そして「実を結ぶ」のです。

 ここで言うイエス様にとどまること、つながることは、どのようなことなのでしょうか。

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば」と言われているように、イエス様の御言葉に聞いて、その御言葉を私たちの内にとどめることなのです。これは主にある私たちの生き方を示している言葉であり日々の生活の中で何を中心にして生きるか、誰に頼って生きるかを示しています。

 イエス様を信じ、主と共に歩む時、私たち自身はどのように「豊かな実を結ぶ」ことができるのでしょうか。それは必ずしも何かで成功したり、功績を得ることではなく、1人1人に与えられた命を精一杯生きることではないでしょうか。そして自分に与えられた力や才能を充分に伸ばし、それを他者のために役立てることではないかと思います。そのためにはまず私たち自身の人間性を豊かにする必要があります。それぞれの人が意味のある人生を生きるために、そして自身の持っている力が豊かな実を結ぶために何とつながっていることが大切であるのかが問われています。

 

 

祈り

「在天の父なる神様、日々私たちに必要なものを与えて下さっていることを感謝します。イエス様とつながる中であなたの恵に応える生き方ができますように導いてください。今この時も戦いの中で苦しんでいる人々、いろいろなことに思い悩む人々をお支え下さい。主のみ名によって祈ります。アーメン。」