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6月23日(木)全学礼拝 (賛美歌BGM付)
奨励者:高橋恵一郎(女子聖学院中学校高等学校チャプレン)
新約聖書:マルコによる福音書 第10章35~45節(新共同訳)P.82
「ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
奨励:立ち止まって、心に問いかけてみましょう
私たちはいろいろなことを願って毎日を過ごしています。
悩み事の解決、計画の実現、発表が成功、目標点の獲得・・・。
イエス様の願いは、神様の御心と一つです。
ご自分の命を十字架を通して捧げ、神と人に仕えるために、イエス様は世にこられたのでした。
その一方、弟子たちの思いは、仕えることではなく仕えられることにありました。
二人の弟子たち、ヤコブとヨハネが、イエス様のところにやってきて、言いました。
「エルサレムで神の国が実現したら、一人を右に、左においてください」
王に次ぐ最高権力者にしてほしいと。
マタイによる福音書ではお母さんまで出てきます。
そしてそのお母さんは、どうもイエス様のおばさんであったようです。
イエス様も大変だったのではないでしょうか。
この二人の話を聞いて、他の弟子たちは腹を立てた、と書かれていました。
俺たちを出し抜いて、自分だけ、偉くなろうとしたな、と。
彼らはイエス様が十字架によって自分の全部を捧げようとしているときに、見当違いの願いをしていたのでした。
でも、イエス様は「君ら、全然わかっていない」と怒ったりせず、受け止めて、「あなた方が願っていることは私が決めることではないんだよ」とお話になりました。
イエス様はそんな弟子たちに言われました。
偉くなりたい人は、仕える人になりなさい、僕・奴隷になりなさい。
これから私は、みんなのために命を捨てます、その姿から学びなさい、と。
そしてそのお言葉通り、十字架に向かって行かれたのでした。
私たちは、人のために死ぬ、などということはできません。
しかし、こういう言葉があります。
WHAT WOULD JESUS DO?「イエス様ならどうする?」。
WWJDと頭文字を取り、スポーツ選手などが身につけるものにその字を入れて活躍しています。
自分の願いばかりを心に抱いてしまう私たちです。
ときには意地悪な心や悪い思いを持つこともありますが、ちょっと立ち止まって心に問いかけてください。
WHAT WOULD JESUS DO?
それだけで、違った世界が、皆さんの前に開けてくるでしょう。
そして、ちょっとそこに天国の喜びを知ることができるでしょう。
WHAT WOULD JESUS DO?「イエス様ならどうする?」
今日、何かあるたびに、ちょっと立ち止まり、心に問いかけてみてください。
祈り
「神様、自己中心的な私たちです。しかし立ち止まり、イエス様の思いを求めることができますように。そこに天国の喜びを共に分かちあうことができますように。アーメン。」