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5月31日(火)全学礼拝 (賛美歌BGM付)

2022.05.31
オンライン礼拝

奨励者:柳田洋夫(人文学部チャプレン)

新約聖書:ルカによる福音書 第24章50~53節(新共同訳)P.162

「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」

奨励:キリストの昇天

 

 

 先週の5月26日は、教会の暦では昇天日(Ascension Day)と呼ばれる日でした。この日は、十字架にかかり、三日後に復活されたイエス・キリストが天に昇られたことを覚える日です。この昇天日は、イースターから四〇日目の木曜日、正しくはキリストが復活されたことを喜び祝うイースターの日から数えて六回目の日曜日後の木曜日と定められています。クリスマスやイースターに比べて、印象の薄い日ではあるでしょうが、イエス・キリストのみ業において重要な出来事であることに変わりはありません。

 さて、本日与えられている聖書の御言葉は、その昇天日ということに関わるもので、イエスさまが昇天されたことを記した、ルカによる福音書の最後の言葉です。この昇天ということがいったい何を意味するのか、ちょっととらえがたいと感じる向きも多いかもしれませんが、十字架また復活とともに、聖書の記者も書き記さずにはいられなかった出来事でした。

 キリストの昇天ということが何を意味するのかについて、私が以前仕えていた教会の長老の方が、こう言ったことがありました。「イエスさまの昇天ということの意味が最近やっとわかった。イエスさまが天に昇られたことによって、救いが、イスラエルの民だけのものから、時代や地域を超えた普遍的なものになったのだ」。そういう趣旨のことを言いました。まさにそうだと思います。このことに関連して、以前、「ユビキタス」という言葉がちょっと流行ったことがありました。それはもともと、キリスト教教会と神学に関連するもので、「神の遍在」という意味の言葉です。つまり、神さまはいつでもどこにでもいらっしゃるということを意味する言葉で、それが転じて、いつでもどこでも誰もが簡単に使えるコンピュータのシステムのことを指す言葉として用いられるようになりました。

 イエスさまは昇天されたことによって、イスラエルという世界の片隅における存在を越えるお方になりました。そして、神の救いを、時と場所を超えて、いまここにいる私たちにまで「ユビキタス」なものとしてもたらし、確かなものにしてくださいました。ちなみに、御言葉には、イエスさまが昇天されたときに、弟子たちは大喜びでエルサレムに帰った、とあります。せっかく復活したイエスさまにまみえることができたのに、またどこかへ去ってしまったならば、泣いて別れを惜しむはずなのに、なぜ喜んでいるのか、そのような疑問が湧くかもしれません。しかし、ここまで申し上げましたように、イエスさまが天に昇られたことによって神の救いの御業がこの世界のすべての時と場所に生きる人々にもたらされる普遍的なものになった、そのことを弟子たちは目の当たりに知らされたゆえに喜んだのだと思います。

 今、イエスさまは私たちの目に見えるかたちではいらっしゃいませんが、聖霊において私たちと共にいてくださいます。そして、信仰と祈りによってイエスさまにつながるならば、まさに今ここにおいて神の救いにあずかることができる、そのようにキリスト者は信じています。そして、希望を仰ぎ見つつ現実の困難に立ち向かう、そのための知恵と勇気を祈り求めます。そのような生き方あり方に、この聖学院での学びと生活においてぜひ触れていただきたいと思います。

 

 

祈り

「主イエス・キリストの父なる御神、御言葉の恵みに感謝いたします。目には見えなくとも確かに、今ここにおいて私たちを支え導かれるお方の御手に自らをゆだねることができる幸いを知り、また日々の歩みにおいてそのことを証しできますまで私たちをお導きください。この月の歩みもここまで守られ、新たな月を迎えようとしておりますが、この学び舎に連なる学生ひとりびとりの上にあなたの変わらぬ顧みと導きがありますように。尊き救い主、イエス・キリストの御名によって祈り願います。アーメン。」