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6月1日(水)全学礼拝 (賛美歌BGM付)
奨励者:山口博(聖学院院長・キリスト教センター所長)
新約聖書:ヨハネによる福音書 第14章15~31節(新共同訳)P.197
「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。 20かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。もはや、あなたがたと多くを語るまい。世の支配者が来るからである。だが、彼はわたしをどうすることもできない。わたしが父を愛し、父がお命じになったとおりに行っていることを、世は知るべきである。さあ、立て。ここから出かけよう。」
奨励: 決してあなたを忘れない
世界中の教会では、この次の日曜日6月5日にペンテコステ(聖霊降臨日・五旬節)の礼拝を捧げます。キリスト教にとってクリスマスとイースターと並んで大事な祝日となります。なぜ大事なのでしょうか。
われわれは度々無気力になるものです。とても元気そうに見える人でも自殺するケースがあります。なぜ死に至るまで人は悩むのでしょうか。なるほど周りから優しい言葉で励まされると元気がでます。しかし、人間の言葉には限界があります。その時キリスト者は聖霊を受けたら良いと考えます。どのようにしたら聖霊を受けられるのでしょうか。祈ったら特別な幻を見た。あるいは、不思議な声を聞くというのではありません。今朝の聖句14章26節によると、「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」と綴られています。「思い起こす」とは何でしょうか。この字は旧約聖書以来大事な意味を持っています。勿論50日前の主イエスの顔や服装を思い起こすことではありません。十字架につかれ、復活された主イエス。そのことによって救われたことを思い起こすことです。「聖霊によらなければ誰も主イエスを主と言うことはできない」とコリントの信徒への手紙一12章3節に記されているのはその事です。
今、われわれが思い起こすと申しました。しかし、キリストがわれわれの救い主であると信じるようになるのは、神様がさせてくださることです。つまり、神様がわれわれを忘れていらっしゃらないのです。少し理屈を申しますと、「思い起こす」という字の主語は神の場合が非常に多いのです。最初に申したように、われわれは無気力になる時がたびたびあります。しかし、神様が「決してあなたを忘れない」ということを思い起こさせてくださるのが聖霊の働きです。そして、それを目に見える確かなものが、2000年にわたって連綿と教会でおこなわれてきた聖餐式です。皆さんが課題レポート等で教会の礼拝に参加した際にはキリスト者がパンとぶどう酒(液)に与る聖餐式に注目してみてください。
祈り
「主イエス・キリストの父なる御神様、あなたのみ名を讃美いたします。2022年度のあゆみもあなたのみ手に支えられ、今日という1日を加えてくださり心より感謝いたします。あなたは私ども一人ひとりに豊かな恵みをお与えくださっていますが、時としてそれを忘れ、不安な日々を過ごす者です。しかし、聖霊の助けによりあなたが私ども一人ひとりを覚えていることを思い起こすことができますように導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。」